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神に喜ばれる人

神に喜ばれる人
大坪章美

ローマの信徒への手紙 14章13-23節

預言者イザヤは、紀元前8世紀の後半、強大なアッシリア帝国がエジプト征服に備えて、繰り返しパレスティナを侵略していた頃、あの北王国イスラエルと南王国ユダにとっての、一大危機の時代に生きた預言者でした。イザヤ書5:8節からは、ユダとエルサレムの人々に対する預言者イザヤの嘆きの預言です。21節で、イザヤが「災いなるかな」と嘆いているのは、「主なる神様を畏れることなく、自分の才能に自惚れている者」のことです。真の知恵は、自分の生活を神様の意志に合わせて、整えますが、自惚れる者は、神に対する畏れの念を、子どものしつけの手段に過ぎないと、嘲ります。こうして、彼らは、神様の審きに陥ってゆくのです。

続いてイザヤは、六番目の“災いなるかな”という嘆きを口にします。22節です。「酒を飲むことにかけては勇者」と述べています。ここで槍玉に上げられているのは、エルサレムにあるユダ王国の役人、職業裁判官たちです。享楽的な欲望に駆られて、イスラエルの裁判官たちは、時の権力者によって金銭で買収される道具になってしまった、ということが語られています。イザヤは、これらの職業裁判官たちが私腹を肥やすために賄賂を取って、悪人を弁護して、正しい人の正しさを退けている、と非難しているのです。然も、その餌食となる人々は、社会的な弱者たち、すなわち、僅かな土地しか所有していない者や、土地を持たない人々、そしてやもめや、孤児である人たちでした。

イザヤの預言から八百年ほども後の、紀元56年頃、パウロは、第三次伝道旅行の終わりに、コリントの町に三か月ほど滞在しました。その時に認めたのが、未だ行ったことも無かったローマの信徒たちへの手紙でした。パウロは、14:13節で、「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう」と語りかけています。と、言うことは、パウロは、直前12節の議論で、ローマの信徒たちが、信仰の弱い人達と、信仰の強い人達とに分かれて、互いに相手を裁き合っていることを指摘していたからなのです。問題にされていたのは、ローマの集会の中の少数の人々が肉食を避け、また恐らくは、ぶどう酒を飲むことさえも汚れたものとして避けて、また、一定の曜日、つまり土曜日を特別視する生活を守っていました。この人々は、ユダヤ人キリスト信徒達のグループであろうと思われます。これらの人々は、少数派で、信仰の弱い人達と呼ばれているのです。他方で、自分たちを「信仰の強い者」と呼ぶ人々のグループは、肉も食べるし、ぶどう酒も飲むという自由な立場を取っていたのです。そして、このようなローマの集会の実態は、この両グループの対立のために、分裂の危機をはらんで、集会の存立が崩壊しかねない状態にあったのです。パウロは、「食べ物のために、神の働きを無にしてはなりません」と言っています。ここでパウロが言っています「神の働き」とは、ローマの信徒の集会を確立させるのは、主なる神様の働き、神の御業であると言っているのです。信仰の強い者と自称するグループは、よもや、些細な食べ物のことで、弱い者たちを躓かせるような愚かなことはするまい、と言っているのです。そして、そのためには、自分が、肉と酒に手をつけないことで、弱い兄弟たちの縛られた良心を、罪から守れるのであれば、喜んで、肉も酒も見合わせるであろうと言うのです。

イザヤが、“災いだ”と、嘆いて預言したユダ王国の高官たちは、私腹を肥やすために、賄賂をとり、弱い立場の人々を貶め、正しい人を退け、結局は主なる神に見捨てられ、死の可能性しか残されない結果を招きました。然し、パウロがローマの信徒へ書き送った、キリストに仕える人は、弱い立場の人たちを考慮して、自分の自由を人前に出さず、その愛によって、主なる神に喜ばれ、人々に信頼されたのです。そして、このような人こそ、神の国を受け継ぐ者とされました。私たちは、イザヤが嘆いたユダ王国の高官たちの道を歩むことなく、パウロが勧める、キリストに仕える人の道を、まっしぐらに進むものとなりたいのです。

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