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主に知られる者

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大坪章美

テモテへの手紙二2章15-21節

出エジプト記33:12節には、モーセの主なる神ヤハウェへの応答が記されています。主の導きによって葦の海を渡り、モーセとイスラエルの民は、三か月目にシナイ山の麓に到着しました。そして、主のご命令によって、教えと戒めを記した石の板を受け取るために、モーセだけが許されて、シナイ山に登って行ったのです。しかし、その間に、麓では大変なことが起きていました。イスラエルの民たちは、モーセの兄アロンのところに集まって、金の雄牛の像を造り、礼拝を捧げていたのです。モーセは、主なる神が十戒を刻まれた二枚の石の板を、金の雄牛を真ん中にして踊り狂うイスラエルの民の上に投げつけ、金の雄牛像を、焼き砕いてしまったのでした。この日、罪を償うために命を落とした者は、およそ三千人であったと言われています。モーセは翌日、イスラエルの民の罪を償うために、主のもとに登って行きました。主はモーセに言われました、32:33節です。「今、わたしがあなたに告げたところに、この民を導いて行きなさい。見よ、わたしの使いが、あなたに先立って行く」と言われたのです。主なる神様は、「わたしがあなたに先立って行く」とはもう仰らないのです。出発当初は、主なる神様は、昼も夜もイスラエルと共に居られ、先頭に立って、導いて下さっていました。それが、金の雄牛像の事件の後、「わたしの使いが、あなたに先立って行く」と仰ったのです。

モーセは、御使いが導いて、先に立つことに不満でした。“不満”というより、“あり得ない”と考えたのです。何故なら、すべての祝福の源は、神のご臨在にあるからなのです。どのような苦難の時でも、主が共に居て下さることを確信することによって、耐えることができるからです。モーセは必死でした。13節では、「どうか、この国民が、あなたの民であることも、目にお留めください」と嘆願しました。主なる神はお答えになりました、14節です、「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」と言われたのです。しかし、この約束も、“あなたに”つまり、“モーセに安息を与えよう”というものです。モーセは、更に主なる神に食い下がり、訴えました。16節です、「あなたが、わたしたちと共に行ってくださることによって、わたしとあなたの民は、地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう」と、願ったのです。モーセは、イスラエルの民の特徴は、神様が、民の真ん中に臨在されていることだと、理解していたのです。神様は、このモーセの願いにも答えられました、17節です、「わたしは、あなたの、この願いもかなえよう。」と仰ったのです。モーセの願った通り、主は、イスラエルの民に安息を与えようと、約束して下さいました。

モーセは、主なる神様に、「どうか、この国民が、あなたの民であることも、目にお留めください」と訴えました。しかし、この、モーセの主なる神への訴えとは対照的に、使徒パウロは、テモテへの手紙?の2:19節において、「主は、ご自分の者たちを知っておられる」という言葉を残しています。テモテへの手紙?は、パウロが、ローマの牢獄に監禁されている中で書かれました。パウロは15節で、テモテに対して、「あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい」と書き記しています。パウロは、本来、あるべきキリスト教を、建物の比喩によって説明します。19節、「神が据えられた堅固な基礎は、揺るぎません。そこには、『主は、ご自分の者たちを知っておられる』と、また、『主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである』と刻まれています」と、記しています。パウロはキリスト教の土台には、「主はご自分の者たちを知っておられる」と刻まれている、と言いました。それは主に従う者達のことです。シナイ山の麓で、モーセが主なる神に嘆願した、「この国民があなたの民であることも、目にお留め下さい」という必死の祈りが、このパウロの言葉において成就していることに私達は気付きます。今日からの一週間も、主に知られる者として、歩みたいと願うものであります。

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