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新しい契約

新しい契約
大坪章美

コロサイの信徒への手紙 1章15-22節

預言者エレミヤが、主なる神の召命を受け、活動を開始したのは、紀元前627年でした。時のユダの国王は、ヨシヤでした。ヨシヤ王は、即位してから18年目の紀元前622年に、エルサレム神殿で発見された“律法の書”によって、ユダの民と契約を結びました。これが、“ヨシヤ王の宗教改革”として史上有名な出来事です。然し、この契約にイスラエルの民は背き続けて来たのでした。そして、ついには、北王国滅亡に続き、今また、南ユダ王国さえもが、有力な人々をバビロンに連行され、捕囚の憂き目に遭わされているのです。エレミヤは、新しい契約の締結を預言します。その預言が31:33節です、「しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を、彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは、彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」。主なる神は、なんと、イスラエルの民、一人一人の心に、契約を書きつける、と仰ったのです。そしてすべての民がその契約を知るようになり、もはや、隣人同士、兄弟同士で教えることも必要が無くなり、罪を犯すこともなくなる、と預言しているのです。そして主は、この天地を創造され、その運行の秩序を保っておられます。然し、と主は言われます。36節です、「これらの定めが、即ち、天地の法則を司る法則が機能しなくなったとしても、」つまり、天地が滅びることがあっても、新しい契約を結んだイスラエルの民と、その子孫は絶えることなく、神の民であり続けると約束されているのです。

エレミヤは、主なる神が天地自然を創造され、天体を配置され、自然の秩序を造り上げたと詩っています。実は、これと同じことを、パウロもコロサイの信徒への手紙で語っています。1:15節で、主イエスが見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前から存在した方であると記しています。この15節から20節までの個所は、この手紙に書き記される以前から、“キリスト賛歌”として歌われていたものです。この賛歌には、大きな二つの柱があることが分かります。まず第一の柱は、15節に歌われた、「御子イエスは、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です」という言葉です。そして二つ目の柱は、18節の後半、「御子は、初めの者、死者の中から最初に生まれた方です」と歌われているのです。原初の世界の創造の時に人間が誕生し、気が遠くなるような時の間、創造者である神と人間との間には、修復不可能とも思える深い“神と人間との断絶”が生じていました。然し、この果てしもなく深い神と人間との断絶が、御子イエス・キリストが、死者の中から最初にお生まれになったことによって、修復されたのです。神と人間との最初の関係が回復されたのです。こうして、この“キリスト賛歌”を歌うキリスト者は、誰もが、“自分が、新たに創造された人間である”ということを確信するのです。パウロは、“キリスト賛歌”の最後を、次のように締め括っています、20節です、「神は、御子の十字架の血によって平和を打ち立てられた」。 パウロの同労者であったルカは、ルカによる福音書の22:20節で、主イエスの言葉を次のように記しています、「食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなた方のために流されるわたしの血による、“新しい契約”である』」。そしてこの“新しい契約”については、今日、最初にお読み頂きましたエレミヤ書31:31節で、預言された、“新しい契約”の成就でもありました。今や洗礼を授けられ、イエス様に従っている私達には、心の中に神様との契約が書き記されているのです。石の板に刻まれたモーセの律法のようなものではありません。時が経っても、文字が薄れたり、破壊されたりすることはありません。忘れることも、失くしてしまうこともありません。困難な時には、イエス様のお名前が、自然と口をついて祈りとなって出てきます。イエス様はその困難を、益に替えて下さるのです。それは時が経ってみると、きっと思い当ることでしょう。今週も神様との新しい契約の民として、平安の内に歩ませて頂きたいと願います。

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