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救いの順序

救いの順序
大坪章美牧師

ルカによる福音書 13章22〜30節

イザヤ書60章は、第三イザヤという預言者あるいはそのグループが著したと伝えられております。ペルシャの大王キュロス二世が、バビロニア帝国を滅ぼした後、1年後の紀元前538年には、イスラエルの人々の、バビロンからの帰還が始まりました。しかし、バビロン捕囚からの帰還は実現したのですが、都エルサレムの復興はままならず、経済的にも、社会的にも、困難の中にあり、宗教的にも苦しみの中にあった人々に、第三イザヤは、希望のメッセージを語るのでした。1〜3節は、このように、ユダへの帰国は果たしたものの、目の前の困窮の中に、希望を見出せない人々に対して、神様が呼びかけられた言葉です。「起きよ。光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光は、あなたの上に輝く」と、第三イザヤは、命じています。

主の御言葉は、シオンに住む人々にとって希望の光でした。悲しみに疲れ果て、経済的にも、社会的にも、立ち直る術が無かったイスラエルの民を、揺り動かすように、“主の約束”が、響き渡ったのです。まず、イスラエルの同胞の帰還です。「息子たちは遠くから、娘たちは抱かれて、進んで来る」と、告げられています。

また、それ以上の奇跡が続きます。5節です、「その時、あなたは、恐れつつも喜びに輝き、おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ、国々の富は、あなたのもとに集まる」と預言されました。彼らは異邦人ですが、彼らも又、「主の家の輝きに、輝きを加える業」によって、イスラエルの息子や娘を携え、シオンに上って来るのです。まさに3節で述べられた、「国々は、あなたを照らす光に向かい、王達は、射し出でるその輝きに向かって」、歩みを続けるのです。

この時から六百年程も後の、紀元30年頃、イエス様は12人の弟子達の先頭に立って、ガリラヤを出発され、エルサレムへ向かって進んでおられました。その時、「主よ、救われる者は、少ないのでしょうか」と、尋ねた人がありました。そして質問した人の意図を良く考えてみますと、「自分一人だけが救われれば、外の人はどうでもよい」という思いが伝わってくるのです。

イエス様は、質問した人の方を見る事も無く、一同の者を見て言われました。「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても、入れない人が多いのだ」と仰いました。最初の質問者の意図を、イエス様はとっくに見抜いていました。質問者の心の底には、「神の国は、自分達ユダヤ人だけのものだから、ギリシャ人やローマ人等の異邦人は、門の入り口で締め出されるに違いない」という思いがあったのでした。

イエス様は、25節で言われています。「家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなた方が外に立って、戸を叩き、『ご主人様、開けて下さい』と言っても、『おまえ達がどこの者か知らない』という答えが返って来るだけである」と、仰いました。茲では、“決断の大切さ”が、語られています。イエス様との、通り一遍の交わりがあるからと言って、イエス様と共に生きる生涯を、保証されるものではありません。

家の主人が門を閉ざす前に入る事が出来なかったのは、「常に神の言葉に対して、自分自身の心を開いていないから肝心な時に決断できない」のです。即ち、「自己中心的な生き方をしている事」に外なりません。この事を指して、イエス様は「不義を行う者共」、即ち、「悪事を行う者共、皆私から立ち去れ」と仰るのです。

その時代のユダヤ人たちは、イエス・キリストに対して、神として扱うべきところ、これを無視して、あまつさえ迫害しようとしたために、神の国に至る門から締め出されたのです。その結果が、30節です、「そこでは、後(あと)の人で先になる者があり、先の人で、後になる者もある」と、仰っています。

茲に、私達は第三イザヤが語った預言を思い起こします。彼らはミディアンとエファの駱駝の大群が、国々の富を積んで、又、西からはタルシシュの船を先頭に、イスラエルの神の為に異邦人が押し寄せる」と語りました。そして、今、ルカが言う「救われる順序はユダヤ人が先でもない。異邦人が先でもない。唯、その人の信仰による」という言葉で、成就しているのです。

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