過去の説教

すべての人に、わが霊を注ぐ

すべての人に、わが霊を注ぐ
大坪章美牧師

使徒言行録 2 章 25〜33 節

預言者ヨエルが活動していた当時は、ユダは、ペルシャ帝国の支配下にありましたが、その支配にも陰りが見え始め、新しい時代の到来を期待する風潮も生まれつつありました。こういう時に書かれたのが、黙示文学です。預言者ヨエルの中心的な“教え”は、“主の日”が近くにあって、「その日が、非常な速度で、近づきつつある」ということです。

2章で語られているのは、“主の怒りの日”の預言です。主の怒りの日には、ペルシャの大軍が破滅する日です。主は、「悔い改めを呼びかけられ」ます。そして、3章で、ヨエルは、「“その後”、私は全ての人に、わが霊を注ぐ」と語りました。預言者は、“破壊による神の審き”を告知しましたが、今や、それが、いなごの群れによって、現実になるのです。その後の事が語られたのが3:1節です、「私は、全ての人に、わが霊を注ぐ。あなたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る」と記されています。終わりの日には、“神の霊”は、王や預言者といった個人のレベルではなく、全ての者に、喜んで受け入れられる事になるのです。

時代は変わって、預言者ヨエルの時代から5百年程も後のエルサレムです。イエス様は、ゴルゴタの丘で十字架刑に処せられ、全ての人の罪をその身に負われて「人々の罪の贖い」となって息を引き取られました。

そして、神の御業は、ここから始まったのです。イエス様は、3日間、陰府に下られた後、日曜日の朝早く復活されたのです。そして、イエス様が復活されてから40日が過ぎた時の事です。イエス様は弟子達に向かって、「あなた方の上に聖霊が降ると、あなた方は力を受ける」と、仰った後、雲に覆われて、天に上げられ、そのお姿は見えなくなったのでした。

それから10日が経ちました。イエス様が復活された朝から数えると50日目になります。使徒言行録2:1には、「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして炎のような舌が分かれ分かれに現れて、一人ひとりの上に留まった。すると、一同は、聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」と、記されています。その頃のエルサレムには、ディアスポラのユダヤ人達が数多く住んでいましたが、聖霊が降った時の大きな物音に驚いて、聖霊が降った直後の、弟子達の許へ集まってきた、というのです。

そこで、ペトロが、11人の使徒たちと共に立ち上がって、声を張り上げて話し始めたのです。そして、まず、詩篇16:8〜11節を引用して、「ダビデは、イエスについて次のように言っている」と紹介してから、語り出しました。「わたしはいつも、目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しません」と歌っています。主なる神様が、自分の傍らに居られる限り、動揺する事はありません。自分が、“死”に直面していても、神への喜びを確信しています。27節では、「あなたは、わたしの魂を、陰府に捨てておかれる事はない」と歌っています。即ち、「“死”を、克服すること」を、確信しているのです。

預言者でもあったダビデが、「あなたは、わたしの魂を、陰府に捨てておかれない」と歌った、“わたし”、そして、「死を超えて継続する“神との命の交わり”を持つ」と、歌われている“わたし”とは、一体、誰のことを言っているのでしょうか?それが、最初に、「ダビデは、イエスについて、こう言っています」と前置きされていた通り、茲で、“わたし”と言われているのは、「イエス・キリスト」の事を、指していたのでした。

ペトロは更に言葉を続けました。33節です、「それで、イエスは、神の右に上げられ、約束された霊を御父から受けて、注いで下さいました」と、話しました。この、「約束された聖霊を、御父から受けて、注いで下さった」ということが、旧約の時代の預言者ヨエルが、ヨエル書3:1節で語った神の言葉、「その後、わたしは、すべての人に、わが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る」という預言が成就したことを物語っています。

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