過去の説教

救いの泉から水を汲む

救いの泉から水を汲む
大坪章美牧師

ヨハネによる福音書 7 章 33〜38 節

イザヤ書11:11節では、「その日が来れば、主はふたたび御手を下して、ご自分の残りの者を、買い戻される」という預言が語られています。神様が、「ご自分の民の、残りの者を買い戻される」と、仰るのです。

真の意味でのディアスポラ、即ち、離散したユダヤ人が生まれたのは、バビロニア帝国による、南王国ユダへの攻撃が始まった時からでした。紀元前597年、バビロニアの王ネブカドネツァルがエルサレムに侵入して、ヨヤキン王とその家族、兵士、職人達を、バビロンに移したのです。そしてそれから、およそ11年後の紀元前586年、南王国最後の王となったゼデキヤの時代、歴代誌36:20節には、「剣を免れて生き残った者は捕えられて、バビロンに連れ去られた」と記されています。茲に、唯一生き残っていたイスラエル民族の国、ユダ王国も滅ぼされてしまったのでした。

然し、このような中でも、主なる神様の御手は働いておりました。バビロンへ連行されたユダの民は、そこで、イスラエルの神への礼拝を守り続けて、主なる神、ヤハウェへの信仰を失うことはありませんでした。

このユダヤの人々の上に、第一イザヤからの神の言葉が語られたのが、11:11節でした。「その日が来れば、主は再び御手を伸ばして、ご自分の民の残りの者を買い戻される」と、預言しました。「主なる神ヤハウェは、イスラエルの民の残りの者を、各地からユダへと、呼び戻されるのです。

イザヤ書12:1節です、その日には、主は、「あなたたちは、言うであろう」と、“主の救いの御業”への感謝の歌を歌うことを促しておられます。そして、主の預言通り、「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたは、わたしに向かって怒りを燃やされたが、その怒りを翻し、わたしを慰められたからです」と、感謝の歌を捧げるのです。12:3節では、待ちに待った、「救いの時」が、与えられます。「あなたたちは、喜びのうちに、救いの泉から水を飲む」と、主は語られました。主なる神ヤハウェこそ、“救いの泉”なのです。

次にイザヤが生きた時代から七百年程も後の、紀元30年頃のエルサレムです。“救いの泉”そのものである方が、“救いの泉”について語られました。この時イエス様は、ガリラヤでの伝道に一区切りをつけて、次のステップに踏み出される為の、“神様”からの導きを待っておられました。そしてその時、都エルサレムでは、「仮庵の祭り」が始められる時期になっていました。

七日間続く仮庵の祭りも、既に半ばとなりました。祭りの四日目に入った時の事です。イエス様は、突如、神殿の境内に上って行って、教え始められたのです。

エルサレムの人々の中には、神殿で聖書を教えるイエス様のお姿を見て、「これは人々が殺そうと狙っている者ではないか。あんなに公然と話しているのに何も言われない。議員達はこの人がメシアだという事を本当に認めたのだろうか」と言ったというのです。

そして、37節です。「祭りが最も盛大に行われる終わりの日に」と記されています。仮庵の祭りの8日目には、荘厳な集会がもたれ、一頭の雄牛、一頭の雄羊、そして、七頭の子羊が屠られた、と言われています。また、この祭りの間中、毎日夜明けに、祭司たちがシロアムの池に行きまして、1.6リットル入る水差しに水を満たして、神殿に運び、燔祭の祭壇に水を注ぐ習しでした。このように、シロアムの池から水を汲む習しは、“神の救いの井戸から水を汲む”ことの象徴とされていたのです。

この、イスラエルの最大の祭りの終わりの日に、イエス様は、立ち上がって大声で言われました。「渇いている人は、だれでも、わたしの所に来て、飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてある通り、その人の内から、生きた水が、川となって流れ出るようになる」と、言われました。イエス様は、祭りの群集の前に立って、“渇いた者”をご自分の許に招かれたのです。

このイエス様の、「渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい」という招きのお言葉こそ、イザヤが語った神の言葉、「あなた達は、喜びの内に、救いの泉から水を汲む」という預言の成就に外ならないのです。

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