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平和と正義

平和と正義
大坪章美牧師

ヤコブ書 3章13-18節

第三イザヤは、神の言葉を語りました。60:14節です、「あなたを苦しめた者の子らは、あなたのもとに来て身を屈め、あなたを卑しめた者も皆、あなたの足許にひれ伏す」と預言されています。かつて、北王国イスラエルを滅ぼして、アッシリア捕囚を行った、サルゴン二世も、南王国ユダを滅ぼしてバビロン捕囚を行ったバビロニアの王ネブカドネツァルも、その子孫達は、ユダの足もとにひれ伏す、と言われています。かつて、苦しめた者たちと、苦しめられた者たちの、決定的な大転換の時がやって来る、というのです。

第三イザヤは、17節の後半で、語っています、「わたしがあなたに与える命令は、平和、あなたを支配するものは、恵みの業」と、預言しています。ヘブル語原典では、“恵みの業”はツェダカーと書かれています。“恵みの業”と訳されたツェダカーは、「正しさ」、や「義」を意味する言葉です。これ迄の、異邦の国々による暴力行為と破局の、終わりのない連鎖や、破壊された城壁と安全ではない城門、このような、不安定な時代は、過去のものとなるのです。これらに代わって与えられるものが、「平和」であり、「正義」なのです。

第三イザヤの時からおよそ、六百年も後のことです。イザヤが語った「平和と正義」について、主イエス・キリストの兄弟、ヤコブが語っている文書があります。それが、ヤコブの手紙、3章です。ヤコブの手紙3:13節からの言葉には、「上からの知恵」という小見出しがありますように、“知恵”が問題になっています。そして、その知恵とは、「キリスト者が生活する上で、避けられない、また、欠かすことのできない、様々な要求に応えてくれるような、“知恵”のこと」です。

ヤコブが勧めていますのは、「本当の知恵を身に着けていることを、主張しようとするのであれば、いくら議論しても、意味が無い」と、言うのです。「むしろ、本当の知恵を身に着けていることを主張しようとするのであれば、“言葉で言うのではなく”、実際に行動に起こして、それによって、自分の主張することが、事実、そのとおりであることを、示さなければならない」と、教えているのです。

ヤコブは、「“自分には知恵がある”と思い上がっている傲慢な思いが、まさに、真理にもとる、偽善に過ぎない」と、断言しているのです。

このような結果を招くような知恵は、“上から”、即ち、“神から、与えられたもの”ではなく、“神に背いた、この世の悪魔から出た知恵”即ち、“偽物の知恵”である、と言うのです。“真の知恵”は、上から、即ち、神から出ます。そして、人間の内に入って、その人に、柔和の霊によって、正しく歩む力を与えてくれます。

17節からヤコブは、これまで述べた“偽りの知恵”とは全く異なった、「上から出た知恵」即ち、「神から来る知恵の働き」について、語り始めます。そして、この、「上からの知恵」によってこそ、神が求められる道に適った人生を、歩むことができる、と言うのです。

ヤコブは、この、「上から」、即ち、「主から降って来る知恵」の特質を、八つ挙げています。その知恵は、先ず、「純真で、混ざりものがありません」。そして、「温和で優しく、従順なもの」で、神の愛と固く結びついているので、「憐みに満ちていて、良い実しか結びません」。そして、この知恵には、「偏見が無く、偽善のかけらもない」と、述べています。

そして、最後にヤコブは、「義の実を結ばせる種は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに、蒔かれるのです」と記しています。「義の実」とは、「神のご意思に適う結果」即ち、「神の御心に適うこと」です。「神の御心に適うこと」とは、「平和を実現する人たち。すなわち、人と人との正しい関係のうちにある人たちの間で、実現するのだ」と、言われています。

このことは、まさに、其の時よりも六百年も前に語られた、第三イザヤの預言である、イザヤ書60章17節、「わたしがあなたに与える命令は、“平和”、あなたを支配するものは、“正義”」という言葉が実現していることを意味しています。主より賜わる平和の内にあってこそ、“義の実”が、結ばれる、のです。

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