過去の説教

闇を貫くあけぼのの光

闇を貫くあけぼのの光
大坪章美牧師

ルカによる福音書 1章67-79節

ユダヤの王、ヘロデの時代に、アビヤ組の祭司に、ザカリアという人が居た、というのです。当時、パレスティナには、1万8千人の祭司が居て、24組に分かれて、輪番で、エルサレム神殿に仕えていました。
祭司の在任中に、一度でも、“香を焚く”という特権に与ることは稀なことでした。しかし、その時、アビヤ組のザカリアに、そのくじが当たったのです。

唯、この度、「エルサレム神殿の聖所に入って、香を焚く」という非常な幸運に恵まれた祭司ザカリアには、一つの悩みがありました。と申しますのは、ザカリアとエリザベトとの間には子供が生まれなかったのです。
ある日の事、いつものように、香を焚くザカリアの前で、主の天使が現れて、ザカリアに言ったというのです。「恐れることは無い。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリザベトは、男の子を産む。その子をヨハネと名づけなさい」と告げました。

ザカリアは、天使の言葉が信じられず、つい、疑ってしまいました。そして問いかけたのです、「何によって、わたしはそれを知ることが出来るでしょう。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」と、訴えたのです。天使ガブリエルは、ザカリアに言いました、「あなたは、口が利けなくなり、この事が起きる時迄、話すことができなくなる。“時が来れば実現する”わたしの言葉を、信じなかったからである」と伝えました。

その後、天使の言葉通り、妻のエリザベトは、自分が身籠った事を知って、5か月の間、身を隠していた、と記されています。このようにして、月が満ちて、エリザベトは、男の子を産みました。パレスティナでは、ユダヤの男の子が生まれた場合は、生後8日目に、割礼を受けるべきことが、律法で定められていました。

人々は、父親の、祭司ザカリアに、「この子に、何という名をつけたいか」と尋ねました。ザカリアは、“字を書くための板”を持って来させて、「この子の名はヨハネ」と書いたのですが、その時、ザカリアの耳は聞こえるようになり、もつれた舌もほどけて、言葉をしゃべることが出来るようになりました。

そうして、1:67節以下の、「ザカリアの預言」が、始まります。68節からは、「主は、その民を訪れて、解放し、我らのために、“救いの角”を、僕ダビデの家から起こされた」と、預言しています。神の訪れは、民の、虐げと苦しみからの“解放”を意味していて、そのために立てられ、遣わされる救い主、メシアが、「救いの角」という言葉で表現されて、この救い主が、ダビデの家から出ることが証言されています。

祭司ザカリアは、76節で初めて、我が子ヨハネの持って生まれた、使命と役割を語りました。「幼子よ、お前はいと高きかたの預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に、罪の赦しによる救いを、知らせるからである」と、述べています。ヨハネは、正式な客をお迎えするための、道備えを果たすに過ぎません。ヨハネは、「主の民に、“罪の赦しによる救い”を知らせる」伝令です。ヨハネが罪の赦しを与えるのではありません。伝令は、伝えるのが使命です。わたしたちキリスト者は、皆、救いの喜びを、伝えなければなりません。伝えさえすれば、あとは、“罪の赦しによる救い”そのものが、効力を発します。洗礼者ヨハネは、「罪の赦しを得させるための、悔い改めのバプテスマ」を、告知しました。

そして、ザカリアは、これらの一連の事が起きるのは、「主なる神様の憐れみの心」に依るのだ、と言っています。主の憐れみによって、「高い所から、曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者達を照らし、我らの歩みを、平和の道に導く」と、預言しています。

「高い所から来る曙の光」、これこそ、“救い主”そのもの、キリストを指しています。長い旧約の歴史の中で、幾度となく、預言者の口を通して語られました。占い師バラムは、「ヤコブから出た星」と表現しました。預言者マラキは、「義の太陽」と、表現しました。

わたしたちも、幾千年の歴史を通して、決してイスラエルの民を見捨てることなく、救いの真実を示される神様に、どこまでもお従いしたいと思うのです。

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