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神の約束と賜物

神の約束と賜物
大坪章美

ローマの信徒への手紙 11章25-32節

主なる神様は、イスラエルの民を約束の地に導き入れる、との救いの約束を、二度、語られました。一度目の宣言は、創世記17:8節で、主がアブラハムに語られた言葉です。「わたしは、あなたが滞在している、このカナンの全ての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える」と約束されました。そして、預言者エゼキエルが語ったのが、主の二度目の約束です。バビロンや、ユーフラテス川の東の地域に移住させられた、離散したイスラエルの民に向かって、神は言われました、「わたしが先祖に与えると誓った地、イスラエルの土地に導き入れる時、お前達は、わたしが主であることを、知るようになる」との、約束です。そして、この約束は、五十数年の後、ペルシャのキュロス王の解放の勅令によって、実現する事になります。

茲には、何があってもイスラエルを救われる、神の約束が示されています。偶像礼拝、不信仰等イスラエルの民の、神に対する背信、拒絶に遭っても、懲りる事なく、神と人との引き裂かれた結び付きを、絶えず修復される、“神の愛の信実”が示されているのです。

一方、紀元58年の冬の頃でした。パウロは、間もなく終わる、第3回伝道旅行の終わりの頃、コリントの教会に滞在した折りに、未だ、行ったことも無いローマ教会の人々に宛てて、手紙を書きました。その11:25節で、いきなり、ローマの信徒達に、神の秘儀を明らかにしています。「兄弟達、自分を賢い者と自惚れないように、次のような、秘められた計画を、是非、知って貰いたい」と告げています。その、“神の秘儀”とは、25節の後半に語られています。「即ち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまで、であり、こうして、全イスラエルが救われるということです」と、記されています。

当時、主イエスを信じる者は圧倒的に異邦人で、ユダヤ人キリスト者は少数でした。そのような状況では、異邦人キリスト者が、「自分達は、ユダヤ人よりも賢い」と自惚れるような事実があったのかも知れません。パウロは、異邦人達の誤った思い上がりに釘を刺す為に、「神の秘儀」を知って貰いたい、と言っています。

そして、その、ミステリオン、秘儀の謎と申しますのは、「一部のイスラエルの民が、神の御子イエス・キリストを殺し、神の子として受け入れなかった理由は、イスラエルの民の救いが完成する前に、異邦人全体が救われる必要があるからだ」と言うのです。即ち、ミステリオンが解明されているのです。「救い主、メシア、即ち、イエス様が終わりの日に再臨され、イスラエルの人々の不信仰を取り除き、全ての罪を赦される」という、新しい契約が成就すると預言されているのです。

“喜びの訪れ”という福音が、世界に述べ伝えられるまでに、イスラエルの民は、イエス様を十字架にかけて殺し、弟子たちと教会を迫害して、神の敵とされたのですが、それは、全て、異邦人が、先に救いに与るためであって、神様の計らいがありました。

しかし、「神の選び」という観点から見ますと、イスラエルの民は、アブラハムの時代から、オリーブの根として、存在しています。イスラエルの民が、「神の選びと、祝福の民」であるという地位は、不動のものです。何故ならば、神様は、イスラエルの民に与えられた“恵みの約束と、賜物”とを、決して撤回されることはないからです。神様は、いかなることからも自由であられますが、約束は決して曲げられません。

今、パウロがローマの信徒たちに伝えていることも、同じことです。パウロは言っています、「かつて、あなたがた異邦人は、偶像を礼拝し、神に不信仰であったが、今は、イスラエルの民の不信仰に依って、神の憐みを受けています。それと同じように、イスラエルの民は、今でこそ、不信仰に依って、神に拒まれていますが、次に、神の憐みを受けるようになるのです」と主張しています。そして、ひとつの結論が導き出されます。それは、「神様は、すべての人を不信仰の状態に閉じ込められましたけれども、それは、結局、すべての人を憐れむためであった」のです。神様の約束と賜物は、決して、取り消されることはないのです。

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