過去の説教

御子による平和の告知

御子による平和の告知
大坪章美

使徒言行録10章34-38節

今、ペトロは、カイサリアという港町で、ローマ軍の駐屯部隊の中の、イタリア隊と呼ばれる部隊の百人隊長であるコルネリウスというイタリア人と会って話をしています。何故、ペトロが、四日前までは南50kmの所にあるヤッファの町に居たのに、今は、こうして、カイサリア・マリティスに来ているのか、と申しますと、それは、もう、偶然というような言葉では説明できない、“神の必然”があったからでした。

四日前、ペトロがヤッファの町で、皮なめし職人シモンの家に宿泊した日、カイサリアに居たコルネリウスは幻を見たのです。その幻には、神の天使が現れて、「あなたの祈りと施しは、神の前に覚えられた。今ヤッファへ人を送って、皮なめし職人シモンの家の客になっているペトロを招きなさい」と、告げたのでした。

一方、ペトロの方は、皮なめし職人シモンの家に泊まって、翌日の昼の12時頃、祈る為に、屋上に上ったのですが、空腹を覚えて、我を忘れたような状態になった時、幻を見たのです。天が開いて、大きな布のような入れ物が下りて来るのを見たのです。その中には、あらゆる獣、動物が入っていて、「ペトロよ、それらを屠って食べなさい」という声が聞こえてきました。

ユダヤには、厳しい律法の定め“食物規定”がありました。ペトロは、この天からの声に驚いて、その声に否定したのですが、再び、天からの声が聞こえてきました、「神が清めたものを、清くないなどと、言ってはならない」と告げました。ペトロは、この時、イエス様が仰ったお言葉を、思い出しました。それは、マルコによる福音書7:15節に記されています。イエス様は、「外から人の体に入るもので、人を汚すことができるものは、何も無く、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」と言われました。ペトロは、その時は、このお言葉が、何を意味するのか、分かりませんでした。しかし、今、本当の意味を悟ったのです。

このような思いに耽っている時でした。カイサリアにいるコルネリウスが遣わした召使い2人と兵士1人が、シモンの家を探し当てて、「ペトロという方が、ここに泊まっておられますか」と尋ねたのです。ペトロは、この3人を迎え入れて、泊まらせました。

ペトロは、コルネリウスが遣わした3人の人々と、次の日に、カイサリアに到着しました。ペトロ一行を出迎えたコルネリウスは、親類や親しい友人達を呼び集めて待っていました。コルネリウスは、ペトロに、これまでの経緯を述べてから、言いました。「よく、お出で下さいました。今、私達は、主があなたにお命じになった事を、残らず聞こうとして、神の前に居るのです」と述べたのです。この、コルネリウスの挨拶に対して、ペトロは口を開き、「神は、人を、分け隔てなさらないことが、よく分かりました」と、語りました。

実際、ペトロが語った言葉は重大な意義を持つものでした。何世紀もの間、ユダヤ人が異邦人を軽蔑していた、“人種的な偏見”を打ち壊す言葉であったのです。

続いてペトロは語りました、「神が、イエス・キリストによって、平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送って下さった御言葉を、あなた方はご存知でしょう」と言っています。その“御言葉”こそ、「洗礼者ヨハネがバプテスマを宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起きた出来事」、即ち「ナザレのイエスの事」だと言っています。「主イエス・キリストこそ、神様から送られた御言葉である」と、コルネリウスとその家族、友人達に語っているのです。38節には、「神は、聖霊と力によって、この方を、油注がれた者となさいました」と記しています。然も、これは、イエス様ご自身が、仰った言葉です。ルカ福音書4:18節には、イエス様が、ナザレの会堂で、イザヤ書を読まれた事が記されています。そこには、「主の霊が、わたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせる為に、主がわたしに、油を注がれたからである」と、記されていました。こうして、「主なる神様が、イエス・キリストによって、平和を告げ知らせて下さったこと」が、明らかになります。改めて、御子イエス・キリストの十字架の贖いの死に、感謝を捧げたいのです。

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