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わたしたちの喜び

わたしたちの喜び
大坪章美

ローマの信徒への手紙 8章31-39節

パウロは、最後の伝道旅行も終わりに近づいた、紀元58年頃、旅先のコリント教会で、未だ、訪れたことの無いローマの信徒たちへ、手紙を書きました。8:31節で、パウロは述べています、「では、“これらのこと”については、何と言ったら良いだろうか。もし、神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに、敵対できますか」と記しています。

「これらのこと」とは、直前28節以下で述べられた事、「神を愛する者達、つまり、ご計画に従って召された者達には、万事が益となるように、共に働く、ということ」を指しています。実際、キリストを信じる者達の生活は、困難と艱難に満ちていて、日々、障害と誘惑に囲まれているのが現実です。然し、これらの現実は、キリストを信じる信仰の、確信を揺るがす事にはなりません。なぜならば、キリストを信じる者は、大切な事を知っているからです。それは、「この世の歩みの中で、私達が蒙る全ての事は、神のみ旨によって、私達の、最善の益である、“救いと、真の命”をもたらすために、役立たせられる」と、言うことです。困難や艱難は、それ自身、良いことではありませんが、それが、神様のみ旨によって、私達の“最善”のために、用いられる、と言うのです。これこそ、“神を愛する者たち”だけが持つことのできる、特権なのです。

パウロは、このような、「神を愛する者達だけが持っている特権」とも言うべき、計り知れない恩寵のことを、31節で、「これらのこと」と言っているのです。これらのこと、即ち、「キリスト者に与えられる、神のみ旨による計り知れない恩寵」については、何と言ったらよいだろうか、と自問しています。そして、それは、一つの、結論をもたらします。それは、「神が、私達に味方して下さる」という結論です。その結果、キリストを信仰する者が、最終的に勝利することが、約束されています。パウロは、「この上、一体、だれが、わたし達を脅かす事が、できようか」と、言うのです。

そして、32節では、キリストを信じる者が与えられる、「神の御旨による、計り知れない恩寵」が、「神が、わたし達に味方して下さる」という結果を齎す理由を述べています。パウロは、続けて言っています、「御子をさえ、惜しむ事なく、死に渡された方が、御子と一緒に、全てのものを、わたし達に賜らないはずがありましょうか」と、記しています。 “神の、無条件の恵み”として、御独り子を、人間に賜ったのです。
 パウロは、更に、3つの問いを発して、キリストを信じている者の、完全な勝利を歌っています。3つの問いは、すべて、「だれが」で、始まります。まず、最初、33節では、キリストを信じる者が、裁きの座の前に引き出される光景が映っています。然し、パウロは語ります、「だれが、神に選ばれた者を、訴えるでしょう」と否定しています。何故ならば、訴えられる人は、神が選んだ人、だからです。ふたつめに、34節では、「だれが、わたしたちを、罪に定めることができましょう」と、否定しています。何故ならば、わたしたちのために、イエス様が、既にご自分の命を捧げて、わたしたちの罪を赦して下さっているからです。そして、みっつめに、35節です、「だれが、キリストの愛から、わたしたちを引き離すことができましょう」と、否定しています。何故ならば、イエス・キリストが、わたしたちを愛して下さっているからです。

38節以下では、パウロの確信が述べられています。死と命、天使と支配する者、現在と未来、高い所と低い所、これら、宇宙的な広がりの中で繰り返される、様々な障害の中で、どんなに、宿命的、或いは運命的とも思える程の困難に遭おうとも、わたし達を、「神の愛」から、引き離す事はできない、と、宣言しています。そして、パウロは、最後に、重要なことを述べています。「わたしたちの主、キリスト・イエスによって示された、神の愛」と記しています。わたしたちを守り、導いてくださる「神の愛」は、「主、イエス・キリストを通して」、実現するのです。わたしたちは、立ち止まって、あらためて、「主、イエス・キリストを通して与えられる、神の愛」に、感謝したいと思うのです。

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