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主の霊のおられる所

主の霊のおられる所
大坪章美

コリントの信徒への手紙二 3章6-17節

北王国イスラエルの王アハブは、地中海に面した港町、シドンの王女イゼベルを妻に迎えて、同時に、シドンの神であるバアルに対して、ひれ伏したのでした。

エリヤは王に言いました。「今、イスラエルのすべての人々を、イゼベルの食卓に着く450人のバアルの預言者、400人のアシェラの預言者と共に、カルメル山に集め、わたしの前に出そろうように、使いを送って頂きたい」と、依頼しました。集まって来たイスラエルの人々に、エリヤは言いました。「あなたたちは、いつまで、どっちつかずに迷っているのか。もし、主が神であるなら、主に従え。もし、バアルが神であるなら、バアルに従え」。こう言って、2頭の雄牛を用意させました。それぞれ2頭の雄牛を裂いて薪の上に乗せたのです。そして、バアルの預言者たちに、バアルの名を呼ばせて、エリヤ自身はヤハウェの名を呼んで、「これに答えて、薪に火を降らせ、捧げものを焼いた方が、真の神であるはずだ」と、述べました。

バアルとアシェラの預言者合わせて、850人もの大勢の預言者たちが、朝から昼まで、バアルの名を呼びながら、雄牛を捧げた祭壇の周りを跳び回ったのですが、何の変化も、起きることはありませんでした。

次にエリヤの番です。エリヤは、たった一人で、薪の上には、3度も繰り返し水をかけて濡らして、燃えにくくしてから、「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ」と祈りました。すると、主の火が降って、捧げものと、薪を、焼き尽くしたのです。これを見た、すべての民はひれ伏して、「主こそ神です」と言って、エリヤは、バアルの預言者たちを殺したのです。

アハブ王が、エリヤが行った事を、全て妻のイゼベルに告げたものですから、エリヤは直ちに逃げ出して、四十日四十夜、歩き続けて、砂漠を超えて、「神の山、ホレブ」に着いたと、記されています。その夜、エリヤに、主の言葉がありました。主は、「エリヤよ、ここで何をしているのか」と問いかけられました。エリヤは、主なる神様に答えましたが、神様は、エリヤの言い訳には、答えられず、仰いました。「洞穴を出て、山の中で、主の前に立ちなさい」と、命令されたのです。そして、命令された後、神様は、エリヤの前を通り過ぎられ、「激しい風が吹く奇跡」、「風の後の地震の奇跡」、「地震の後の、火の奇跡」を、次々と起こされました。しかし、風の中にも、地震の中にも、火の中にも、主は、おられず、自然の激しい動乱の後に続いて、「静かにささやく声が聞こえた」と、記されています。

主なる神様は、自然の動乱のような、激しい奇跡の中でなくても、「静かにささやく声」において、ご自身が神であることを、明らかにされるのです。

次に、新約の時代に移ります。パウロは、キリストによる“新しい契約”を、モーセを通して与えられた“古い契約”と比較しています。6節では、「神は、わたしたちに、“新しい契約”に仕える資格、文字ではなく、“霊”に仕える資格を与えて下さいました。文字は殺しますが、霊は、生かします」と記しています。

神様が、人類との関係を立てる為に与えられた“福音”という新しい秩序は、“律法”という古い秩序を廃止したのです。今は、キリストの時、「救いの時」です。「モーセと律法」という過去の栄光は、今や「パウロや使徒達の働き」の前に消え去って行かざるを得ません。「律法の機能」は、罪を宣告し、裁く事にありました。対照的に、「霊の務め」は「永遠の命」だからです。

新しい契約は、唯、キリストからだけ、「主は、霊である」という確信のみによって理解されるものなのです。

主に立ち帰った人々は、霊である主によって、変えられます。キリストが宣べ伝えられる時、聖霊の内にキリストを見出すとき、聖餐式の中でキリストに出会う時、わたし達は、キリストの内に栄光を見るのです。

まさに、今日学びました、エリヤの目の前で起きた、突風や地震、その後に起こった火の中には、主はおられず、火の後に、静かにささやく声を、エリヤは聞きました。わたし達も、み言葉が述べ伝えられる時、礼拝の中で、聖餐式で、心の耳を澄ませましょう。エリヤのように、静かにささやく声を、聞き取りましょう。

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