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たゆまず祈りなさい

たゆまず祈りなさい
大坪章美

ローマの信徒への手紙 12 章 9-21 節

エレミヤは、エルサレム神殿の庭に立って、ユダヤの民のすべてに向かって語りました。エレミヤ書19:15節です、「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、この都と、それに属するすべての町々に、わたしが告げたすべての災いをもたらす。」と、告げたのです。この時、エレミヤの預言の言葉を聞いていた祭司の、パシュフルは、エレミヤを逮捕して、鞭打たせ、ベニヤミン門にある神殿警備の拘置所に連れて行って、枷をはめて、牢に繋ぎました。

エレミヤは、主なる神様に告白して、祈りました。、「主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされて、あなたに捕らえられました。」と、嘆き、祈っています。主のお言葉がエレミヤに臨んだとき、主なる神様は言われました、「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と仰ったはずです。

エレミヤは、「自分が語ろうとすれば、それは嘆きとなってユダの民が行う暴行、暴虐を語り、これから起きる、バビロニアの侵略を語るのです」と嘆き、一晩中、恥と謗りを受けている、と嘆き、訴えています。

エレミヤには、自分が迫害の標的になっているのがわかるのです。

11節では、人々から嘲られていたエレミヤが突然、勝利を確信するようになります。「主は、恐るべき勇士として、私と共にいます」という、確信を得るのです。

そして、12節でエレミヤは祈ります。「万軍の主よ、正義をもって人のはらわたと心を究め、見抜かれる方よ。わたしに見させてください、あなたが彼らに復讐されるのを」と嘆願しています。エレミヤが見たいのは、「自分の復讐」ではなくて、「神の復讐」です。

こうして、エレミヤの心は晴れて、感謝の歌に変わります。13節です、「主に向かって歌い、主を賛美せよ」と歌っています。「主は貧しい人の魂を、悪事を謀る者の手から助け出される」と歌うのです。

この、エレミヤが到達した“救われた喜び”を、パウロが語っている個所が、新約聖書にあります。それは、ローマの信徒への手紙12:9節以下です。パウロは、まず、愛について述べています。「愛には、偽りがあってはなりません」と記しています

キリスト者は、「兄弟愛をもって、互いに愛し、尊厳をもって、互いに相手を優れた者」と、思わなければならないのです。ここで言われている、“兄弟愛”も“互いの愛”も、フィリアという言葉が用いられています。キリスト者は、ひとつの家族であって、フィリアという愛情で結ばれているところに、特徴があります。

パウロは、12節で、「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず、祈りなさい」と、勧めています。キリストを信じる者の共通の恵みは、「常に、希望をもって喜ぶ」ことです。エレミヤは、「わたしの訴えをあなたに打ち明け、お任せします」と神に祈った時から、希望に向かって生きる者となりました。「主に向かって歌い、主を賛美せよ」と、喜び、讃美しました。

パウロも、同じように、「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」と記しています。どのような時にあっても、“希望”は持てます。父なる神が、キリスト・イエスが真の神であり、わたし達の真の救い主であるからこそ、希望をもてるのです。「最善の時は、これから齎される」という確信があります。

パウロは続けます、「たゆまず、祈りなさい」と勧めています。私達は、神に心を向けない日があってはならないのです。何か月も神に心を向けず、祈ることを止めた時、わたしたちを支えて下さっている全能の神の力は奪い取られます。自分一人の力で人生を生きている人が挫折したところで、驚く人はいないでしょう。

最後に復讐について語っています。「愛する人達、自分で復讐せず神の怒りに任せなさい。」と言っています。

エレミヤは、このことに気付いていました。主なる神様が言われる、「復讐はわたしがすること」とのお約束を信じることができさえすれば、「わたしの訴えを、あなたにお任せします」と言って、自分を納得させ得るのです。そして、そうすることによって、主を賛美する、希望と喜びが湧き上がって来るのです。

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