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悔い改めなさい

悔い改めなさい
大坪章美

ルカによる福音書 13 章 10-17 節

イエス様が、弟子達と共に、ガリラヤを後にして、エルサレムへ上る途上にあった時の事です。13:1節で、ルカは語っています、「ちょうどその時、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を、彼らのいけにえに混ぜた事を、イエスに告げた」と記しています。

イエス様に、この事件のことを告げた者達は、下心を持っていました。イエス様の12弟子の中にも、熱心党の党員が含まれていたことが明らかだからです。その下心とは、イエス様を、この、ピラトの手の者によって殺された、ガリラヤ人の共犯者として、告発しようとしていた意図が、手に取るように分かるのです。

このような悪意を持ったユダヤ人達に、イエス様は仰いました、2節です、「そのガリラヤ人達が、そのような災難に遭ったのは、ほかの、どのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決して、そうではない。言っておくが、あなた方も、悔い改めなければ、皆、同じように滅びる」と仰いました。

ファリサイ派の人達は、当時、因果応報の思想を持っていました。ローマ兵の剣にかかって殺されたガリラヤ人達は、罪を犯した報いを受けたのだ、と考えていたのです。しかし、イエス様は、このような思想を根本的に否定されました。人間は、皆、罪人なのです。

イエス様は、このファリサイ派の人々に警告され、預言されました。「あなたがたも、悔い改めなければ、皆同じように滅びる」と、告げられました。この、「すべての人間は、例外なく、罪人である」という現実から、人が救われるためには何をすればよいのか、・・イエス様は、ただ、「悔い改めなさい」と仰います。

「悔い改める」ということは、「真理を語って下さる真の神の言葉を、受け入れること」に尽きるのです。この、本来、「いとも簡単に思えること」が、人間にはたやすいことではありません。それほど、人間は自我が強く、素直になれず、罪深いのです。

イエス様は、あるユダヤ教の会堂で、教えておられました。そしてそこに、もう18年もの間、病の霊に取り付かれていた女性が居りました。サタンの霊の働きによって、18年もの長い間、腰が曲がったまま、全く伸ばすことが出来なかったのです。イエス様は、この女性をご覧になって、憐れみで心を動かされ、呼び寄せて、「婦人よ、病気は治った」と言って、手を置かれると、たちまち女性の腰は伸びて、神を賛美し始めました。婦人の、賛美と感謝の声の余韻が、未だ、会堂の中に残っている時に、会堂長の大声が響き渡りました。14節です、「働くべき日は6日ある。その間に来て治して貰うがよい。安息日はいけない」と、会堂の中に居る群集に向かって声を張り上げたのでした。

確かに、出エジプト記31:15には、「誰でも、安息日に仕事をする者は、必ず死刑に処せられる」とあります。イエス様は、会堂長のあからさまな当て擦りに対して、同じく律法を盾に取られて対応されました。
ユダヤ教では、「安息日は、他の日のように働いてはならない」という律法を守るための具体的な規則が定められました。たとえ安息日であっても、動物を家畜小屋から連れ出して、水を飲ませてやることは全く問題にされなかったのです。

このような状況の中で、イエス様は、会堂長に言われました、15節です、「偽善者達よ、あなた達は、誰でも、安息日であっても、牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女は、アブラハムの娘なのに、18年もの間、サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか」と仰ったのです。

会堂長は、人間よりも、“規則”や“教え”を大切にして生きていたのです。本末転倒していたのは会堂長であり、イエス様の癒しに反対する者たちでした。彼らも、悔い改めを必要とする人々でした。イエス様は、この人たちにも、「あなたがたも、悔い改めなければ、皆、同じように滅びる」と仰るのです。「ピラトがガリラヤ人の血を、彼らのいけにえに混ぜた」と、イエス様に伝えに来た人たちも、会堂長たちも、皆、「悔い改めなければ、滅びる」と言われているのです。

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