過去の説教

見よ、主なる神

見よ、主なる神
大坪章美

ヨハネの黙示録 15 章 1-4 節

紀元90年代の事です。主なる神様は、キリストの救いの完成に、希望と忍耐を堅く保ち続ける為に、パトモス島に流されていた長老ヨハネに、これから確かに起きるべき事柄の幻をお示しになりました。15:1節には、「私はまた、天に、もう一つの大きな驚くべき“徴”を見た。七人の天使が、最後の七つの災いを携えていた」と記されています。次に続く言葉、「これらの災いで、神の怒りが、その極みに達するのである」という言葉は、「神に従わない者への裁きが、七つの災いで完成される」とも、翻訳する事ができる個所です。

終わりが来る前に、なお、最後の、一連の出来事が繰り広げられなければならないのです。「七人の天使が、七つの災害を携えている」と記されています。七つの鉢に盛られたものを注ぎ出すと、それが全世界の上に広がり、このように、神の怒りが頂点に達するのです。

七人の天使がそれぞれ持った、災いの入った七つの鉢が、地上、海の中、川の源、太陽、獣の王座、大ユーフラテス川、空中、にぶちまけられます。獣の像を拝む者たちに、数々の災害による報復がなされます。最後の、七つ目の鉢は、空中で傾けられます。それによって、かつて無かった程の、大規模な嵐と地震が発生します。三つに裂かれる都というのは、エルサレムではなく、バビロン、つまりローマのことです。この都に対して、その、神に背く行為の故に、今や、判決が下されようとするのです。

長老ヨハネは、ここで再び、神の勝利を讃える天上の合唱団を見ます。ガラスの海の畔に立っている、殉教者を含む聖なるキリスト者達は、神の竪琴を手にしています。神の竪琴とは、神から与えられた恵みの事です。彼らは、茲で、「神の僕モーセの歌」と、「小羊の歌」とを歌ったと記されています。そして三つめに、獣、即ち皇帝ネロを破った勝利者である、聖徒達が歌った「聖徒の歌」が、3〜4節に記されているのです。
 従いまして、この、「聖徒の歌」の内容は、黙示録が記される中で、初めて語られる筈の、主なる神の究極の勝利を、ここで既に取り上げているのです。

聖徒達は4節で歌っています、「主よ、だれがあなたの名を畏れず、讃えずにおられましょうか」と歌います。 “名前”は、その人物そのものを表すものでした。讃美歌の言葉は、疑問文になっていますが、これは反語であって、本当の意味は、「あなたの名を畏れず、讃えずにはいられません」ということを意味しています。

そして、続けてその理由を述べています、一つは、「ただ、神だけが聖なる方であるから」と歌っています。神の完全な聖さを表しています。二つめに、「全ての国々の民が来て、神の御前で礼拝するから」と預言しています。そして、三つ目の理由が、「神の正しい裁きが明らかになったから」、と歌っています。このように、神の最後の判決は全ての人に明らかになるのです。

この後、長老ヨハネが見ていますと、「天にある証しの幕屋の神殿が開かれた」と、記されています。そして、開かれた神殿の中から、七つの災いを携えた、七人の天使が出てきた、と言っています。天使達は、四つの生き物の一つから、神の怒りが満ちている七つの鉢を、それぞれ、一つずつ、渡されたのです。この七人の天使達は、神からの委託に基づいて、祭司の任務として、恐るべき業を果たさなければならないのです。

そして、これらの、災いが盛られた七つの鉢が、それぞれ、ぶちまけられた後に、全能の神の勝利が確定します。然し、未だ、最後の裁きまでに、様々な戦いがあります。そして、この黙示録の終わりに、新しい天と、新しい地が現れる直前に、最後の審判があります。20:12節には、「わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もうひとつの書物も開かれた。それは、命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた」と、記されています。

わたしたちは、永遠の命を与えられ、天に於いては、命の書に名前が書かれていることを確信し、約束された道を歩み続ける者でありたいと願っています。

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