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受け継がれる信仰

受け継がれる信仰
大坪章美

テモテへの手紙二 1 章 3-7 節

この手紙の終わりの方、4:21節に「冬になる前に、是非来て下さい」という、パウロの、テモテへの願いが記されています。この手紙が書かれたのは、ローマにいたパウロの殉教の2〜3ヶ月前、紀元67年の秋までであったことが推定されています。明らかにパウロは、自らの生涯をかけた事業を、テモテに譲り渡すつもりであったのです。このように、パウロが自らの死の直前まで会いたいと願っていた、テモテとの最初の出会いは、パウロの第一回伝道旅行の折りの事、紀元47〜8年の頃でした。リストラで生まれたテモテは、20歳にも満たない青年でしたが、母エウニケ、祖母ロイスと一緒に、恐らくパウロ自身から洗礼を授けられたと思われます。このテモテも、今や30歳代の壮年となり、その頃は、エフェソの教会でパウロの代理として、責任ある指導的地位についていたのです。

パウロは今、殉教することを覚悟して、牢獄の中で、処刑の時が来るのを待っている日々でした。それだけに、忠実な愛弟子テモテのことを、頻りに思い出すのでした。この手紙の1:3節には、「わたしは、昼も夜も、祈りの中で、絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い、清い良心をもって仕えている神に、感謝しています」と記しています。パウロは、感謝の気持ちでいっぱいになって、自分の先祖の神でもあり、自分自身も、清い心を持って仕えている神を見上げています。

パウロは、テモテに会って、その純真な信仰に触れる事によって、喜びで満たされたいと考えました。5節では、「そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まず、あなたの祖母ロイスと、母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っている、とわたしは確信しています」と記しています。テモテも又、パウロと同様に、敬虔な家族の遺産が、どれ程大きな祝福を齎すか、を体験する事が出来たのでした。パウロはここで、「その信仰はまず、あなたの祖母ロイスと、母エウニケに宿りましたが、それが、あなたにも宿っていると、わたしは確信しています」と記しています。「信仰は宿るもの」と表現していますのは、“信仰”は、神が与えられる“恵みの賜物”であって、人間の功徳、つまり功績や、努力の結果、獲得するものではないことを強調しているのです。

パウロは1:6節で「そう言う訳で、わたしが手を置いた事によって、あなたに与えられている神の賜物を再び燃え立たせるように勧めます」と記しています。
神の賜物、即ちパウロの按手によってテモテに媒介された役職に就く恵みは、聖霊を指しています。この聖霊が、火に例えられて、「再び、燃え立たせるように」と勧められているのです。聖霊は、キリスト者を、恐れや弱さに打ち勝たせて、福音を証させて下さいます。

パウロは、7節で、「神は、臆病の霊ではなく、力と愛と、思慮分別の霊を私達に下さったのです」と、言っています。聖霊の働きを、三つ挙げています。それは、「力の霊」、「愛の霊」、「思慮分別の霊」です。まず、力の霊は、御言葉によって新しくされる魂に、主を受け入れ、罪に背を向ける力を与えるだけではなく、伝道の奉仕と証しの為の力を与えて下さるのです。  

また、神は、「愛の霊」を下さいます。茲で言われている愛は、人間に生まれながらに備わっているものではありません。神の恵みの賜物であって、主イエス・キリストにある者に、上から与えられる“霊の実”です。それは、見返りを求めるような愛ではありません。御言葉と霊によって、信じる者に神様が与えて下さる恵みの賜物です。そして、三つめに、神は、「思慮分別の霊」を下さいます。どんな誘惑に晒されても、自分を正しく維持できるのは、この霊の賜物のお蔭です。主を信じる者は、熱い心だけを持った者ではありません。平静で落ち着いた判断力も併せ持っているのです。

テモテが、祖母ロイス、母エウニケから伝えられたキリスト信仰を受け入れたように、わたし達キリスト者は、家族から、或いは教会の神の家族から、信仰を継承します。そして、力と愛と、思慮分別の霊を頂いています。今週も、わたし達を導いて下さる神の霊に感謝しつつ歩みたいと思います。

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