過去の説教

未だ見ぬ事実の確信

未だ見ぬ事実の確信
大坪章美

ヘブライ人への手紙 11章 8-12節

ヘブライ人への手紙は、紀元80年から90年の間に書かれたものであろうと言われています。この時期のローマ帝国は、皇帝ドミティアヌスの治世下で、キリスト教徒にとっては非常に過酷な時代でした。
まず、ひとつは、この皇帝ドミティアヌスによる迫害でした。彼は、自らを、「主にして、神」、と称して、皇帝礼拝を強要したのです。キリスト教徒は、父子聖霊なる神の他に礼拝する神はありません。多くの敬虔なキリスト教徒が迫害を受けました。そして、もう一つ、キリスト教徒を迫害したのが、ユダヤ教徒でした。ユダヤ教徒は、紀元70年の8月、将軍ティトスの軍隊にエルサレム神殿を焼き払われてしまいましたが、新しく、神殿の無いユダヤ教の体制作りを急いでいたのです。彼らユダヤ教徒は、紀元70年以降力をつけて来たキリスト教との対決色を鮮明にしてきたのです。

今日お読み頂きましたヘブライ人への手紙は、ここで、ユダヤ教徒から呪詛、いわば、呪いの対象にされているユダヤ人キリスト者の群れのために書かれたものです。そして、そのキリスト者の群れは、ローマにあって、キリスト教に改宗する前のユダヤ教へ逆戻りするかも知れない、という信仰の危機に立たされているキリスト者の群れでした。著者は、このローマにいるユダヤ人キリスト者の群れに、明確な言葉で警告を発しています。6:4節です、「一度、光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊に預かるようになり、神の素晴らしい言葉と、来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることは出来ません。神の子を、自分の手で、改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。」と、厳しい言葉で、危ない道を選ばないように警告しながら、然し、愛情を持って、導くのです。そして、さらに、彼らのこれまでのユダヤ人キリスト者としての信仰の歩みを思い起こさせることによって、背教の危険から立ち直らせようとするのです。

そして、ハバクク書の2:4節の預言の言葉を引用します。そこには、「見よ、高慢な者を。彼の心は正しくあり得ない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」と記されています。そして、著者は、「信仰によって命を確保する者」の解説を始めます。先ず、「信仰」についての共通の認識を提供します。11:1節です、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」と記しています。4節からは、カインとアベルの出来事が語られます。続いて、エノクの出来事、ノアの出来事が語られ、アブラハムの信仰が語られます。このように、著者が、旧約の偉大な先人として描いた彼らも、その信仰の故に、神からの賞賛を受けはしましたが、約束されたものを手に入れることは出来なかったのです。その事情は39節に記されています。「この、旧約の信仰の英雄たちも、約束の成就には与ることが出来なかった。」然し、これは、彼ら旧約の英雄たちの信仰に問題があったのではありません。神様の、私たちに対する恵み深い意図によるものなのです。そして、その約束の成就が延期されたのは、私たちキリスト者も、それに与るためなのです。また、それは、キリストの再臨の遅延を理由に、キリスト教信仰への確信が揺らいでいる、ローマに住むユダヤ人キリスト者に対する答えでもあるのです。

約束の成就は、地上の歴史の終わりを意味します。新しい天と地に変えられるのです。最初にキリストに結ばれて死んだ人たちが復活します。そしてキリストを信じて地上に生きている者と共に主イエス・キリストと出会い、いつまでも主と共に居ることになるのです。もし、この救いの完成が、もっと以前に起きていたとするならば、その時より後に生まれた者たちは、救いから脱落したことでありましょう。これが、再臨の遅延問題の回答なのです。神様は、私たち現代に生きるキリスト者が救いから漏れることを望まれなかったのです。 私たちは、この約束の成就に与ることができるのです。恵み深い神様のご計画に感謝しつつ、私たちも見えない事実を確信して、今週も歩み続ける者でありたいと思うのです。

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