過去の説教

みんなで一人を

みんなで一人を
山北宣久

マルコによる福音書 2章 1-12節

札幌中央教会は、1972年5月7日にYMCAをお借りして最初の礼拝を捧げてから本年5月で40周年を迎えました。このことを記念して、青山学院院長であられる山北宣久先生をお招きして、11月10日(土)特別伝道集会、11日(日)記念礼拝を持ちました。この時の山北先生のお話しの中で、印象深かった個所を掲載します。
1. 伝道集会 聖書個所 マタイ25:14−30
       講演  「人が生き、人を生かす人生」
 人は、各々タラントン、言い換えますと賜物、能力、資質を与えられて、期待と信頼を寄せられています。そして、パウロがローマの信徒への手紙11:29節で記しているように、「神の賜物と招きとは、取消されないもの」なのです。タラントンは、獲得より生かし方、用い方が大切です。失敗や挫折を恐れることはありません。むしろ新しい原動力、活力となり、その経験が生かされます。与えられたタラントンに対する忠実さが大切です。努力して倍にし、捧げることが尊いのです。神には真実、友には誠実、そして自分には忠実であるべきです。人生で、必ず決算報告書を提出する日が来ることを自覚すべきです。人の目に見える所で頑張る人は多いのですが、目に見えない、主人が居ない、だからこそ、やるということが大切です。
 「どうせ、1タラントンなのだから」という、他人との比較に生きると、自分を失います。タラントンを与えて下さった方への畏れが必要です。僕であること、とか主人の金であるという“不満”は何も生みません。
 5タラントン、2タラントンを預けた僕は、「少しのものに忠実であったから」祝福されました。ささやかな事柄、見栄えのしない業に心を込めることが大切です。ペトロの手紙一4:10には、「あなたがたはそれぞれ賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」と記されています。賜物は用いなければ失われます。それが、賜物の性格です。また、独占すれば死滅し、分かち合えば倍になっていきます。人は、生きるだけで50パーセントの完成度、人を生かして100パーセントの人生になります。
2.礼拝説教    聖書個所 マルコ2:1−12
          説教題「みんなで一人を」
 この個所の説教題は、端的には「イエス様もビックリ、人々もビックリ」ということになりましょう。何故イエス様がビックリされたかと言いますと、戸口の辺りまで隙間も無いほどの群衆が埋め尽くされた中で、驚くべきことに、中風の人が寝ている床が四隅を吊るされて、計算されたかのように、イエス様の目の前に降りてきたからです。そうするには、四人の男性の相当な技量が必要でした。建物の中のイエス様がおられる辺りに目星をつけ、その真上の屋根を剥がして、そこから寝床が傾かないように四人の男性が息を合わせてロープを下ろすという、相当の技術と熟練が必要でした。イエス様は、それほどのことをしてまで中風の男を癒やして頂こうとする、その信仰を見られました。ここで、救われたのは、中風の男だけではなく、この男を運んできた男性を含め5人の男たちでした。
ここに、愛があります。パウロは、いつまでも残るのは信仰、希望、愛と言いました。そしてその中で最も大いなるものは愛であると言っています。札幌中央教会の今年の教会標語も、「互いに愛し合う教会」です。ここに、互いを気遣い、助け合う心が働いています。人の為に祈る祈りは、いつまでも残るのです。祈った人が地上の生を終えた後でも、その祈りは生き続けています。札幌中央教会では創立以来80余名の方が天に召されましたが、その方々の祈りにも支えられているのです。律法学者達は、「子よ、あなたの罪は赦された」というお言葉に対し、「神おひとりのほかに一体誰が罪を赦すことができるだろうか」と心の中で考えました。イエス様は中風の人に「あなたの罪は赦される」と言うのと、「起きて床を担いで歩け」と言うのとどちらが易しいか、と問われ、「床を担いで家に帰りなさい」と仰り、実現しました。人々のビックリがありました。

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