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神の促し

神の促し
大坪章美

ルカによる福音書15章11-24節

預言者エレミヤが、預言者としての神様からの召命を受けたのは、紀元前627年、南王国ユダのヨシヤ王の治世の時でした。主なる神様は、南王国ユダの民にとっては、これ以上にない厳しい言葉をエレミヤに語らせます。「裏切りの女ユダに比べれば、背信の女イスラエルは正しかった」と言われたのです。ユダの民は、エルサレム神殿で、「主こそ我らの神」と口では言いながら、その実、心は高い山の聖所に上って、異教の神バアルに礼拝を捧げていたのです。北王国イスラエルの民は、一度は主なる神から離縁状を渡され、神との契約関係から除かれた民です。アッシリアという異教の国の王、シャルマナサルを用いて、主なる神は、北王国イスラエルの背信の行為に対し、国を滅ぼすという裁きを与えられたほどでした。しかし、それでも、神の契約の意志は、捨てられることはないのです。神様の本質が変わることはないのです。「わたしはお前に怒りの顔を向けない。わたしは慈しみ深くとこしえに怒り続ける者ではない」と仰っているのです。神様の救い、神様の恵みが、既に先にあるのです。“救い”と“恵み”とが、罪びとを悔い改めに導くのであります。

福音書記者ルカは、この、救われ、恵みを与えられた者が悔改めたという、イエス様の譬え話を記しています。15:11節以下に、「ある人に、息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、私が頂くことになっている財産の分け前を下さい』と言った」と記されています。そして、その結果、父親は、財産を二人の息子に分けてやったというのです。当時のイスラエルの社会で、親の存命中に財産を分与することなどは、あり得ないことでした。従いまして、13節に記されていますように、「何日もたたないうちに、下の息子は、全部を金に換えて遠い国へ旅立ち、そこで、放蕩の限りを尽くして財産を無駄遣いしてしまいました」ということは、何重もの意味で、父親に悲しみを与えたことでした。この、父親の心配をよそに、弟息子は、無一物になった時に、その地方にひどい飢饉が起きて、食べる物にも困り始めたというのです。彼は、その地方に住むある人のところに身を寄せました。しかし、心から心配してくれる筈もなく、豚飼いの仕事を斡旋しただけでした。飢えに耐えきれない弟息子は、豚が食べるいなご豆を横取りして口に入れたかったと記されていますが、それさえくれる人は誰もいなかったというのです。そして17節で、弟息子の目が啓かれたことが記されています。「そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどにパンがあるのに、わたしはここで、飢え死にしそうだ』」というのです。この瞬間に、弟息子は、“神の促し”に接続されたのです。そして気が付きました。「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあった」と思い出したのです。父の家の記憶は、主なる神の救いであり、恵みを物語っていました。そして、思い立って父のところへ出かけると、未だ遠く離れているのに、父が先に見つけ、走り寄って首を抱き、接吻したというのです。この父親は、弟息子が家を出てから、来る日も来る日も門の外に出て、待っていたのです。弟息子が父の家を思い起こす前から、父は弟息子を思い続けていたのでした。悔い改めの前に、救いと恵みが先行していることが良く分かります。このように、弟息子は、父の家を思い起こし、神様の救いと恵みに気が付いて、悔い改めました。悔い改めは、その後、父の家で、晴れ着を着せられ、指輪をはめてもらい、奴隷とは異なって、家の中を履物を履いて暮らすという交わりを与えました。
一方、イエス様の時代から六百年も前の北王国イスラエルも国を失っていましたが、主なる神様はエレミヤの口を通して救いと恵みを与えられました。そして、「お前の犯した罪を認めよ」と、悔い改めを促されたのでした。その結果、ユーフラテス川の東の諸国へと移住させられていた北王国イスラエルの民は、紀元前538年のバビロン捕囚の民の解放と共に、エルサレムへの帰還を許され、新しいイスラエル建設のために働くことが出来るようになりました。

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