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十字架・主の覚悟

十字架・主の覚悟
土橋修

ヨハネによる福音書 18章1-11節

受難節は最後の「受難週」に入りました。英語読みで「The Week」のこの週が特別の週とわかります。その極みが木・金曜日にかかる「主の十字架」となります。木曜は「最後の晩餐」「ゲッセマネ」。金曜は「十字架」に極まります。因みに「『神は』と語る時、それは哲学となり、『神よ』と呼ぶ時、それは宗教となる」と言われます。ゲッセマネの園とゴルゴタの丘で主が祈るところに、真の十字架の心とキリスト教信仰の輝きを、わたしたちは見ることでしょう。

ゲッセマネで主は神のみ前に平伏し、「主よ御心のままに」と祈ります。その場での思いつきの祈りではありません。公生涯に入り、堅く心に期するところがあった思いです。ヨハネ8章21節以下で、主は来るべき死を覚えて「わたしは去って行く」と口にされました。群集たちは「自殺でも?」と案じます。これに対し主は「この世に属する者たちのための、罪のあがないのために、神に属する者がここを去るのだ」と説いています。主の「わたしはある」との答えが、その意を“I am he”を明言しているのです。

ゲッセマネでも忍び寄る捕り手下役たちの前に、身に起こるべきことを察知し、自ら「進み出て」、彼らが捜す「ナザレのイエス」に対し、「それはわたしだ」“I am he”と名乗り出る主がおられます。その威厳と気迫に彼らは圧倒され「地に倒れる」ほどでした。その後、剣を振うペトロには、「剣を納めよ。父がお与えになった杯は飲むべし」との決意が示され、一言一言にイエスの覚悟のほどが汲みとられます。

こうしてイエスの身はユダヤの衆議所裁判にされ、続いて大祭司は主をローマ総督ピラトの下に上訴します。ユダヤは当時ローマの支配下にあり、ユダヤ法による死刑は行えず、ローマ法によってその宣告を行おうと謀ったのです。しかしピラトも優柔不断な男でした。ユダヤ律法による宗教問題は、ローマ法の権限外として、無罪と認めながら、大祭司たちにより扇動され騒動を起こす群集を恐れ、十字架宣告は行われたのです。ユダヤの大祭司側はそれが不服で、「ユダヤ人の王と自称した男」と書きかえを求めます。ピラトはこれを拒みます。總督の面目(メンツ)を立てるためです。私たちが礼拝で唱える使徒信条中に、「ポンテオ・ピラトの下に」との告白があります。いささか場違いなピラトの名ですが、それと言うのも、イエスの十字架が歴史上の事実であることの証言であるとともに、その事実の陰で起こっていた人間間の裏話が、このようにして起こっていたとの証しでもあります。

これに対する十字架のイエス御本人の決断は、全く異なっています。それは「人の子」(メシア)として、主は神の御心に従い、神の真理に従順たらんとしたからなのです。それを苦として避けず、積極的に「進んで」これを負い、罪のあがないを果さんとして下さったのです。御心に従順、真理に徹しぬかれようとするその生き構えが、十字架に仰がれるべきなのです。

人はなぜ全智全能の神が、己が独り子をその十字架から降ろせないのか、と疑います。キリスト者は逆に神の正義が厳しく、その愛が深ければこそ、この世の深い罪のあがないには、その独り子を十字架につけるほどの犠牲を払って下さる、神の大きな愛をキリストの十字架に仰ぎ見るのです。

イエスは律法を尊ぶ人でしたが、律法主義は排撃しました。「律法廃止ではなく、律法成就」が願いでした。(マタイ5:17)。律法の心はイザヤ49:15にある通り「女が乳呑子を憐む如く・・・わたし(神)はあなたを忘れない」とあります。パウロもテサロニケの信徒たちを愛して「母親がその子供を大事に育てるように・・・自分の命さえ喜んで支えたいと願ったほどです」(エテサロニケ2:8)と告げています。ヨハネ3:16の聖句がこれらと重なり合ってキリスト者の心に響く筈です。神の此の世を愛する愛の深さのほどを知る人は、十字架の心がわかり、イエスの十字架の覚悟のほども自ら知ることでしょう。感謝です。

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