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真の悔い改め

真の悔い改め
大坪章美

ルカによる福音書 15章11-22節

哀歌は、南王国ユダの都エルサレムが、紀元前587年にバビロンの王、ネブカドネツァルによって、徹底的に破壊され尽した後の、嘆きを歌ったものです。生き残った者たちの目に映った光景は、未だ働ける数千人の指導者や、手足が使える人々が捕囚として、バビロンへ連行される姿でした。エルサレム神殿は廃墟と化し、祭司や預言者は、放浪の身となってしまったのです。哀歌の作者は、イスラエルが主なる神に対して罪を犯し、反逆したという事実を主張します。エルサレムがバビロニア軍に包囲されて、城壁が破られたとき、エジプトをはじめ、連合を組んでいた国々は、どこも助けに来てくれなかったのです。もう、エルサレムが、手を差し出しても、その手を取って引き起こし、慰めてくれる者たちは居なくなった。イスラエルが、主なる神以外のもので、依り頼んでいたものが、完全に消え去ってしまったのです。もはや、主なる神様が、本来的な助け主として、前面に出て来て下さるしか無いのです。「ご覧ください、主よ、この苦しみを。胸は張り裂けんばかり、心は乱れています」と訴えています。これが、“真の悔い改め”です。

人の心の中に、これほど深い、悔い改めの思いが生じるものでしょうか。私たちは、ルカによる福音書15:21節の、放蕩息子の言葉に、同じ響きを聞くことができます。放蕩息子は、父に迎えられたとき、「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」と言ったのです。この息子は、ある人の2人の息子のうち、弟の方でした。この弟息子が、あるとき、父親に、「お父さん、わたしが頂くことになっている、財産の分け前を下さい」と願ったというのです。この弟息子の罪は、父親から貰った財産を浪費しだした時から始まったものではありません。父親に、「わたしの分け前を下さい」と要求した時から、父と子との関係を否定して、一緒に暮らすことを拒否して、父親に背いていたのでした。弟息子は、遠い国で、放蕩の限りを尽くして、父親から貰った財産を使い果たし、食べる物にも困り始めます。しかし、16節には、「食べ物をくれる人は誰もいなかった」と記されています。弟息子には、もう、豚の食べるいなご豆さえも、口にすることは出来なくなってきました。ここで、この弟息子は、我に返ったと記されています。この弟息子は、父のところへ帰ることを決心します。そして、父親に対して、「お父さん、わたしは天にたいしても、またお父さんに対しても、罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして下さい」と言おうと、心に決めました。こうして、父親の家へ帰ってくる弟息子を出迎えた父親は、罪の告白を終りまで言わせることなく、腕に抱き、祝宴では、自分の隣に座らせたのでした。悔い改めの結果は、神の恵みが与えられるのです。進退窮まって、飢えて死ぬか、盗みを働くかの、瀬戸際で我に返り、悔い改めた放蕩息子は、豊かな父親のそばで、息子として暮らせるという恵みに与りました。

しかし、先に読みましたエレミヤの哀歌が歌った、ネブカドネツァル王の軍隊によって、完膚無きまでに破壊され尽くしたエルサレムの惨状は、その後、どうなったのでしょうか。あの、哀歌の作者も、イスラエルの罪を思い起こして祈っています。イスラエルが、主なる神様に背き、逆らってきたことを見つめるしかありませんでした。この紀元前587年のエルサレム陥落の惨状を目の当たりにした哀歌の作者が祈りましたように、エルサレム自身が悔い改めたのです。そして、このエルサレムの“真の悔い改め”から50年程が経った紀元前538年、ペルシャの大王キュロスによってエルサレムへの帰還を許されたユダヤ人たちが、続々と、捕囚の地バビロンから、祖国エルサレムへと帰ってきたのです。そして、槌音高く、エルサレムの復興に取り掛かったのでした。私たちが捧げる礼拝も、悔い改めの場です。真の悔い改めの心をもって、御前にひれ伏す者でありたいと、願います。

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