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神の恵みが現れた

神の恵みが現れた
大坪章美

テトスへの手紙 2章11-15節

詩編82篇は、預言的詩編でありますが、人生の謎について預言された詩であります。人生の謎とは、この世の不条理さを言います。無理が通って、道理が引っ込む現実、弱い者や貧しい者の権利が守られず、神を信じない権力者たちに圧迫されている、という謎であります。この、不条理な現実、この道理に会わない事実は、何が原因なのか、と詩編作者は訴えています。そして、その原因を、天上の会議に見出すのです。

1節にあります、「神は、神聖な会議の中に立ち、神々の間で審きを行われる」。この詩編作者は、天上の会議に出席している神々を、カナンの先住民や、隣接諸民族の信仰する神々で、今や、イスラエルの唯一神ヤハウェの審きの場に陪席する従者たちに格下げされた存在として、描いているのであります。

主なる神は、異教の神々を、「あなたたち」と呼んで、糾弾します、2節以下です、「いつまで、あなたたちは不正に審き、神に逆らう者の味方をするのか」。主なる神の叱責が、異教の神々の上に下されます。彼らの不公平な審きと、悪人へのえこひいきが、地上における不義と混乱の元になっていると問い詰められるのです。

しかし、このような不義がまかり通る状態は、いつまでもは続きません。何故なら、この詩編作者は、異教の神々の終りを告げる、主なる神の威嚇の言葉を聞いたからです。6節です、「わたしは言った、『あなたたちは神々なのか。皆、いと高き方の、子らなのか』と」。この言葉は、主なる神の、異教の神々に対する判決文なのです。そして、判決文の終わり、即ち、7節で、次のように締めくくられるのです、「しかし、あなたたちも、人間として死ぬ」。主なる神は、異教の神々を、今や、人間と同じ、死すべき運命と同様に扱われるのです。このことは、天上における“神の正義”の勝利を表わしています。もはや、地上の審きを惑わす異教の神々の存在は、無くなりました。この後は、神の約束に対する人間の願いが、大きく鳴り響くのです。

今日、もう一か所お読み頂きましたテトスの手紙2:11節は、次のように始まっています、「実に、すべての人々に救いをもたらす、神の恵みが現れました」。まさに、これまで、私たちが読んで参りました、詩編82篇の作者の、終わりの叫び、「神よ、立ち上がり、地を審いて下さい」という願いに、呼応するかのように、パウロが、「神の恵みが、現れました」と述べているのであります。しかし、この時代にも、既に、異端の教師たちが存在していました。パウロは、これら、異端の教師を退けるように主張します。そして、テトスへ命じています、2:1節です、「しかし、あなたは、健全な教えに適うことを、語りなさい」。そして、このような、健全な教えに基づく生活は、新しい生命に満ちています。そのことを、パウロは、2:11節で記しているのです、「実に、すべての人々に救いをもたらす、神の恵みが現れました」。この、“主イエス・キリストの恵み”こそ、信ずる者の救いであります。パウロは、この世を、神から離反している状態にあり、肉の欲望、目の欲望、富を誇る、という罪の中にある、と指摘しています。そして、この世的生活が増し加えた負い目、罪の蓄積を、イエス・キリストの恵みを通して、神の義が、取り除いて下さり、新しい生き方に導き入れて下さると、言うのであります。また、これらの生活を通して、教会に集う者たちが、神様のご支配のもとで、清い者とされてゆくのです。神を離れ、欲望に浸った生活を続けてはいけないのです。“神の恵み”が、教えて下さったように、“思慮深く、正しく、信仰深く”生活することによって、私たちは、聖化、すなわち、聖なる者へと造り変えられ、キリスト再臨への希望の中に、支えられるのです。私たちは、イエスさまの贖いの死による聖化、つまり、清いものに作り変えて下さる働き、を今も受けつつ、正しい行いを続けながら、主イエスの再臨を、待ち望んでいるのです。詩編82篇の作者が、詩の終わりに祈った、「神よ、立ち上がり、地を裁いて下さい。あなたは、すべての民を嗣業とされるでしょう」という祈りが、今、イエス・キリストを通して、私達の間に成就している事が分かるのです。

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