過去の説教

救いのあるところ

救いのあるところ
大坪章美

ルカによる福音書 22章24-27節

紀元前1010年頃のこと、ユダの南西部の丘陵地帯で、ペリシテという海の民とサウル王が率いるイスラエル軍が、谷を挟んで睨み合っていました。すると、ペリシテ軍の陣地から、ゴリアトという男が谷に降りてきました。ゴリアトは、背丈が6アンマ半と言いますから、3メートルを超える大男で、頭には青銅の兜をかぶり、身には、青銅のうろこ綴じの鎧を着て、足には青銅のすね当てを着けて、一部のすきもありません。そして、イスラエルの陣地に向かって、一騎打ちを挑んだのです 一方、イスラエル軍では、ゴリアトの挑発の言葉を聞いて、恐れ慄き、ただ、鳴りをひそめていました。ある日、ダビデは、父エッサイに命じられて、兄たち3人の安全を確かめるために、最前線まで出かけたのでした。そうすると、敵の陣地から、ゴリアトが現れて、イスラエルを挑発する言葉を叫んでいるのが聞こえました。ダビデはサウル王に申し出るのです、「僕が行って、あのペリシテ人と戦いましょう」。ダビデは、羊飼いの杖1本と石投げ紐と、河原の石五つを持って、ゴリアトに向かって歩き出しました。

ゴリアトは、ダビデの小さな体と、ヒゲの無い顔を見て、侮ってしまいます。しかしダビデは、ゴリアトに言い返します、45節です、「お前は、剣や槍や、投げ槍で、わたしに向かって来るが、わたしは、お前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう」。そして、続けて、「主は、救いを賜るのに、剣や盾を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう」と言いました。

この言葉は、神の国の根本の法則を明瞭に語っています。すなわち、「イスラエルの神は、救いを与えるのに、剣も槍も必要とせず、弱き者を通して、強き者を滅ぼす」のであります。そして、ダビデの言葉どおり、彼は向かってくるゴリアトの方へ走り出し、袋から小石を取り出すと、それを石投げ紐を用いて飛ばしたのです。小石は巨人ゴリアトの額に命中して、ゴリアトは気絶し、前に倒れてしまいました。

そして、時代は、千年余り降って、紀元30年のエルサレムです。市内の南西部にある家の二階広間で、最後の晩餐が終わったところです。弟子達の間で、誰が一番偉いだろうか、という議論が起こりました。弟子達が、このような話を始めたのは、イエス様が18節で仰った、「言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後、ぶどうの実から作ったものを飲むことは、決してあるまい」というお言葉の中の、“神の国が来る”という部分に、敏感に反応したのでした。神の国が到来して、イエス様が王となられたら、政り事を執り行う大臣が必要になります。弟子達は、その大臣の序列を議論し始めたのです。イエス様は、次のように言われました、「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が、守護者と呼ばれている。しかし、あなた方は、それではいけない」。続けて仰いました、「あなた方の中で、一番偉い人は一番若い者のようになり、上に立つ人は仕える者のようになりなさい」。イエス様は弟子達の中で、イエス様ご自身がなさっている態度を見るようにと、促されるのです。イエス様は、最後の晩餐の席で、何と、弟子達の食事の給仕を、実際になさっていたのです。私達は、このご奉仕のさらに深い意味を、知ることが出来ます。ルカによる福音書12章37節です。そこには、次のようにあります、「主人が帰ってきた時、目を覚ましているのを見られる僕達は幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めてこの僕達を食事の席に着かせ、そばに来て、給仕してくれる」。イエス様の、このお言葉は、復活されたイエス様が、再び来られる再臨の時、神の国の到来の時を指しています。イエス様は、終わりの時にも、イエス様を信じる者を食事の席に座らせご自分が給仕すると、仰っています。イエス様はこのように教えられました。自らが奉仕すること。イエス様は、やがて来る再臨の時までも見通して“仕える者になりなさい”と言われています。“救い”は決して剣や権力や支配によって生まれるものではありません。神様は、小さな者、自ら奉仕する者を通して救いを達成されるのです。

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