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神を待ち望め

神を待ち望め
土橋 修

詩編 42篇1-12節

この詩は43篇に続く一つの詩です。「鹿が谷川の水を慕いあえぐ」との出だしは、観光を誘う一幅の絵の如く、また猛暑にあえぐ人には、清涼気分を味わうかのようです。しかし現実はさにあらず、歴史的背景は定かではありませんが、バビロン捕囚の苦難とか、ダビデ王が長子アブサロムの謀反により、都エルサレムを追われた悲嘆の様が、そこに偲ばれます。事情は明らかでないまでも、人生に重荷を抱え、矛盾にまき込まれ、うなだれ伏す人々の重苦しさが、鹿のあえぎに表されているのです。

註にある「詩人コラの子」とは、レビ族の人々で、彼らは神殿にあって礼拝奉仕に与ることを、神よりの嗣業と受け止め、本懐と喜ぶのです。それが今苦難の中で、都を離れ神殿奉仕も行えない日々を過ごさざるを得ないのです。その嘆き悲しみは渕にあるようです。それに加えて敵人たちは「お前の神は、どこにいるのか」と嘲笑してきます。その声に信仰はゆらぎ、頭はうなだれ、呻き声がのどから洩れます。逆に「神の聖顔」は遠のき、思い出は胸を刺し、涙が糧となるばかりです。

しかし、ここで彼は渇ける魂をふりしぼって、失意の自分に訴え、神に向かって祈ります。「うなだるるな、思い乱されるな、神を待ち望め。わたしはなお、わが助けわが神を賛美せん」と。「神を待つ」とは、何れの時、何れの所かで、待つというのではありません。「待てば海路の日和あり」と言うではありません。「じっと手を見る」ままでは、手の打ちようもありません。事はことほどさように深刻なのです。ある心理学者は「待つこと」を分析して、19項目にわたる多様な心理の局面を解説します。「焦(じ)れ」に始まり、自壊・冷却・膠着を経て、退却・酸欠・空転・そして最後は「開く」に至ります。それでも結論は胸に納まりかねます。結局人の心の微妙な変化に、追いつけないとの感が深まるばかりです。

「待つ」は信仰の問題だと思います。漢字の「待」は、偏はぎょうにんべんで「道」を表し、旁(つくり)は「止」でした。「道に止まって待つ」がその意です。ところで、中国に仏教が伝来した初めの僧が、役所を借りて布教を始め、やがてその役所を人々が寺と呼ぶようになりました。布教の実体が入れものの役所の名を転化したのです。そしてお寺で「止まって仏の教えを聞く」ことが、「待つ」という信仰の姿となったのです。

最近「朝日歌壇」の次の一句に胸打たれました。

  混沌混。沌混沌。その先で待つ。 (御中虫)

わたしは聖書の創世記開巻劈頭を思い浮かべました。そこでは混沌の中に、神の「光あれ」の声が響きます。「こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた」とあります。聖書の神は光りとして先立つ方です。この光りの神を待ち望むところに「万事が益となる」(ローマ8:28)ことを、わたしたちは知っています。イエスはオリーヴ山で「わたしの願いではなく、御心のままに」と祈りました(ルカ22:43)。わたしたちが待つという時も、自分の願い、考えを押しつけて、当方の意に叶う神の返事を待つというのではありません。待つは神を待つ、神の御心を待つのです。それを真理・正義として受けとめる姿勢なのです。たとえそれが人の思いのままにならぬ状況であっても、神のことばを信じ、主なる神を迎えて待つ心の構えなのです。

過去・現在・未来という時の流れを超えて、主なる神そのお方を待ちうける信仰が、この詩人の本懐とするところなのです。それが鹿のあえぐが如き声に併せて歌われる、この詩となったのです。

しかも神は既に、「見よわたしは戸口に立って、叩いている」(黙示録3:19)と言っておられるではないですか。「宵待草」の「待てど暮らせど来ぬ人」ではないのです。わたしたちを「待ちぼうけ」にさせる神ではないのです。「神を待ち望め」は42・43篇を通じて、三度繰り返えします。喜びの日ばかりではなく、寧ろ悲嘆にうなだれる日にこそ、この歌を「人生の祈り返し歌」として、力強く歌い続けたいものです。

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