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平和の計画、栄光の希望

平和の計画、栄光の希望
大坪章美牧師

コロサイの信徒への手紙 1 章 24〜27 節

預言者エレミヤは、南王国第19代目の王エホヤキンがネブカドネツァルに降伏して、母親と家臣たち、そして兵士や鍛冶職人たちがバビロンに連行された紀元前597年より後のこと、バビロンで捕囚の民とされているイスラエルの人々に手紙を書きました。

その手紙が、エレミヤ書29:4節から始まっています。「その地で妻を娶り、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、子どもを産み、子孫を増やしなさい」と、命じています。「別の預言者が、もう2〜3年で、ユダへ帰れると言っている」という話もありました。ですから、エレミヤの手紙は、彼らにとって、むしろ、迷惑な内容であったと、思われます。そして、神様は、明確に、忍耐すべき期限を区切られました、10節です。「バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなた達を顧みる。わたしは、恵みの約束を果たし、あなたたちを、この地に、連れ戻す」と、約束されました。

時代は変わりまして、新約の時代です。使徒パウロは、ローマの獄中にあって、幾つかの手紙を書きましたが、その中の一つが、コロサイの信徒への手紙でした。紀元60年頃の事です。その頃、エパフラスという、かつてパウロがエフェソに滞在していた時の同労者であった人物が、パウロを訪ねてきました。エパフラスは、コロサイ教会に、偽教師達が入り込んで、「キリストの福音に反する、“異端の思想”を受け入れるように、指導している」という報告をもたらして、パウロの指示を仰いだのでした。パウロは、コロサイの信徒達に対してこの手紙を書いて、教会に入り込んだ偽教師たちの誤った教えに惑わされる事なく、「キリストに結ばれて歩むように」と、指導しようとしています。

パウロは、1:24節で記しています。「今やわたしは、あなた方の為に苦しむ事を喜びとし、キリストの体である教会の為に、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」と、述べています。「キリストの苦しみの欠けたところ」が、何によって満たされるか、と申しますと、それは、「『イエス・キリストを、死んで甦った方』として宣べ伝える事によって、キリストの業を完成させる事」に外なりません。

パウロは、主なる神様から、「神の御言葉を、コロサイの人々に余すところなく伝える」という、“務め”を与えられた、と述べています。ここで、大切なことは、御言葉を伝える相手であるコロサイの人々が、ユダヤ人ではなく、“異邦人”であったことです。パウロは、26節で、「世の初めから、代々(だいだい)にわたって隠されていた、秘められた計画が、今や、神の聖なる者たちに、明らかにされたのです」と、述べています。

27節に、“神の御心”が、示されています。パウロは、「この、秘められた計画が、異邦人にとって、どれほど栄光に満ちたものであるか、を、神は彼らに知らせようとされました」と、記しています。この、新しい発見である、「世の初めから、代々にわたって隠されていた秘められた計画」とは、「栄光ある福音の望みが、ただ、ユダヤ人ばかりでなく、すべての場所にいる、すべての異邦人のものである」と言うことでした。

「神は彼らに知らせようとされました」と、記しています。長い間、罪と死の中に沈んでいて、そのために、まったく破滅したと思われた異教徒たちが、突然、“神の子”とされて、“救いの相続”を受けた、というのですから、これ以上の驚きはありません。

そして最後に、パウロは、コロサイの人々のみならず、異邦人の全てがキリスト・イエスを受け入れた後は、「何の欠けた事もない、充足に満ちた」存在になる事を知るのですから、キリスト・イエスを、“栄光の希望”と呼ぶのです。これが、どのような状態であるかと申しますと、「土に過ぎない、もろい器の中に、天の栄光を持った希望が宿る」という、まさに、「神の、驚くべき御業の現れ」なのです。私達は、先にエレミヤの預言を聞きました。それは、直ちに苦しみを取り去るようなものではありませんでしたが、「70年の時が満ちたら、自由になる」という“平和の計画”でした。パウロが語った、「福音の望みが、異邦人に与えられる」という恵みも、“栄光の希望”という計画なのです。

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