過去の説教

弱さの故に神の力が働

弱さの故に神の力が働
大坪章美牧師

コリントの信徒への手紙二 13章1-4節

コリントの信徒への手紙二の13:1節からは、「弁明の手紙」の、“結び”に当たる部分です。最初にパウロは言っています、「わたしが、あなたがたの所に行くのは、これで3度目です」と記しています。パウロは、これまでに、コリントの教会を2度、訪問しています。1度目は、第二回伝道旅行の折りで、コリントに滞在して教会を立ち上げた時でした。そして2度目の訪問は、数カ月前のことです。クロエの家の者達からの知らせを受けて、エフェソから書き送ったコリントの信徒への手紙一が、受け取った信徒達から誤解されて、事態が複雑になったので、その誤解を解く為の訪問でした。しかし、この訪問は、パウロに敵対する巡回教師たちの扇動によって挫折してしまい、パウロは、訪問を中断して、エフェソへ戻らざるを得ませんでした。

そして、これからの訪問は、3度目となるのです。2節では、つい先頃、パウロが2度目の訪問をした折に、コリントの信徒の一部の者から、傷つけられ、侮辱され、中傷されたこと、パウロの容姿、即ち、外見や、使徒の資格の正当性までも、また、その“誠実さ”さえもが、攻撃になった事に対して、書かれています。

パウロは、教会のある人々から苦しめられた事がありました。ある人々とは、新しく信じるようになった異邦人キリスト者に律法を守らせたユダヤ主義者か、或いは、霊的な熱狂主義者か、又、「信仰よりも、知識を通して救いを達成する事が出来る」と信じていたグノーシス主義者達でありました。パウロは、いたたまれず、訪問を打ち切ってエフェソに帰ってしまい、エフェソから、“涙の手紙”と呼ばれる手紙を送ったのです。その思いが、2節以下に表れています。パウロは、「以前、罪を犯した人と、他の全ての人々に、そちらでの、二度目の滞在中に前もって言っておいたように、離れている今も、あらかじめ言っておきます。今度、そちらに行ったら、容赦しません」と、記しています。

そして今から3度目の訪問をしようとするに当って、改めて警告しています。又、その警告の具体的な理由を3節で述べています。「なぜなら、あなた方は、キリストが、私によって語っておられる証拠を求めているからです」と言っています。もともと、パウロは、「自分の弱さの中で、キリストが語って下さり、行動して下さる」と述べていました。然しコリントの人々は、「パウロがキリストの使徒として語る資格があるかどうか」を、“キリストが語っておられるかどうか”という基準で判断して、否定的な考えを持っていたのです。

これに対して、パウロは、「自分が、キリストの使徒であって、正しく福音を伝えている事」自体が、キリストが語っている証拠である、と説明しています。続くパウロの言葉、「パウロ自身がどれほど弱くとも、キリストはあなた方に対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です」と言っている事で、分かります。

コリントの信徒達は、「パウロのうちに、キリストの力が働いている事」を知るべきでした。パウロは4節で、言っています、「キリストは、弱さの故に十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。私達も、キリストに結ばれた者として、弱い者ですが、然し、あなた方に対しては、神の力によって、キリストと共に生きています」と、記しています。

ここには、「十字架の弱さ」と、「復活の力」という、根本的な、キリストがもたらす“逆説”があります。「弱さ」と「強さ」とが、共存しています。「十字架」は、キリストにとって「弱さ」と見えるかもしれませんが、その内には、「神のあらゆる力」が、充満しているのです。そして、このことがキリストにとっての“真実”であるならば、「キリストの僕」であるパウロにとっても、“真実”の筈です。パウロは、「キリストの死と復活」に与っていますから、同様に、「弱さ」もあり、「強さ」もありました。パウロは、「キリストの復活の力」で、生きていました。“キリストが彼の中で生きておられる”ので、パウロ自身も、キリストの思いを抱いていたのです。わたしたちも、一人一人が弱いが故に、イエス様が私たちの内に生きて下さり、“神の力”によって、生きているのです。

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