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メシアの誕生

メシアの誕生
大坪章美

ルカによる福音書 2章 8-20節

イザヤ書33章は、紀元前701年に起きた、アッシリア帝国のセンナケリブ王がエルサレムを包囲した時の様子が描かれたものです。エルサレムを攻撃して押し寄せる諸国民の軍勢の波は途切れることなく続き、食い止めることもできません。主なる神様は、このイスラエルの民の極度の苦しみを顧みられて、今や介入の時期が来たと、みなされました。10節です、「今やわたしは身を起こすと、主は言われる。今やわたしは立ち上がり、今や自らを高くする」と宣言されます。

17節になりますと、一転して、来るべき主の支配の許で、過去の出来事を振り返るとの預言が記されています。「あなたの目は、麗しく装った王を仰ぎ、遠く隔たった地を見る」と、預言されています。あなたの目は、メシアの出現を見る、と言うのです。

このイザヤの預言から七百年ほども経った紀元前7年頃、ユダヤのベツレヘムというダビデの町で、羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し、羊の群れの番をしていました。この時期、イエス様がお生まれになった頃の羊飼いは、ユダヤ人の社会では、軽蔑された存在でした。ところが、このような羊飼いたちに、或る晩、主の天使が近づいて、神の栄光が回りを照らしたというのです。天使は言いました、「恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主、メシアである」と告げました。何故、神様は、このような世間の目から見れば、人間以下の扱いを受けていた羊飼いたちに、真っ先に、救い主の誕生をお知らせになったのでしょうか?それは、このような、社会の底辺にある人々を、神様は決して見捨ててはおられないということを、はっきりと示されたからなのです。イザヤは、「あなたの目は、麗しく装った王を仰ぎ見る」と預言しました。然し、天使は告げるのです、12節です、「あなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と羊飼いたちに告げたのです。彼らは、ユダヤ教から破門され、人間以下の扱いを受けていた人々でしたが、その信仰の耳は、はっきりと、天における賛美の声を聞き分けることが出来ました。ですから、直ちに次の行動を取ることが出来たのです。「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせて下さった、その出来事を見ようではないか」と話し合って、ベツレヘムへ急ぎました。

16節には、「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」と記されています。天使のお告げによって、分からないまでも、それを信じて、直ぐに行動を起こしてマリアとヨセフを訪ね、イエス様を礼拝した羊飼いたちは、ユダヤ教から破門された人間以下の人々どころか、実に信仰深い人々であったということが、分かります。

イエス様のお誕生の次第は、このようにベツレヘムの町の一角で、華やかさも、豪華さもなく、むしろ見すぼらしさの中に起こりました。イザヤの預言にありました、「あなたの目は、麗しく装った王を見る」という言葉の“麗しい装い”は、見すぼらしい布にくるまれて、馬小屋の飼い葉桶の中に横たわることで実現されたのです。それは、全ての人間の、救い主となられる未来を予告したものだったのです。イエス様は、誕生の瞬間から、人間存在の最も下に立たれたのでした。そして、イザヤの預言にありました、「主は、我らの王となって、我らを救われる」という預言を成就する者となられたのです。天の御使いが羊飼いたちに告げた、「民全体に与えられる大きな喜び」であったのです。イエス様は、今、私達に比べても、最も悲惨な状況でお生まれになりました。その生涯を通して、いいえ、十字架につけられ、殺されて、復活されても、主なる神様と、私たち罪人の間を執り成して下さる救い主のお誕生の姿だったのです。私達は、このお方によって罪赦されたのです。永遠の命を生きるようになったのです。この大いなる恵みを、喜び歌わずにはいられません。しかし、同時に、御子イエスをこの世に遣わされた父なる神のご愛に、涙せずにはいられないのです。

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