過去の説教

飼い葉桶の救い主

飼い葉桶の救い主
大坪章美

ルカによる福音書 2章8-20節

列王記上8:61節は、紀元前950年、ダビデの子ソロモンがエルサレム神殿を完成させ、主なる神に神殿奉献祭を捧げた時の情景を記しています。ソロモンは、ただ、夜も昼も、この神殿に目を注いで下さるように、と祈っています。ソロモンは、この神殿が、苦しみと絶望の中にあるイスラエルの民に、悔い改めの祈りへと道を開くものであって下さい、と祈っているのです。そして、最後の祈りの後、ソロモン王は、すべてのイスラエルの人々と共に、主の御前において和解の犠牲を捧げました。牛二万二千頭、羊十二万匹という大量の犠牲です。そしてその時の祭りは、全てのイスラエル人、レボ・ハマトからエジプトの川に至るまでの大会衆が参加しました。しかも、その期間は、七日間に、更に七日、合わせて十四日間にも及んだと記されています。民は、幸せと喜びを感じつつ、心楽しく帰りました。それからおよそ、一千年の時が流れました。時は紀元前7年のユダヤ地方です。ユダヤ地方は、ローマ帝国の支配下に入り、イドマヤ出身のヘロデ大王が、ユダヤ人の反感を買いながら、ユダヤ地方を治めていました。ユダヤの人々は、神に選ばれた民でありながら、来る日も、来る日も希望を見出せず、奴隷のような日々を送っていたのです。ルカによる福音書の2:1節には、「その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た」と記されています。その頃、ヨセフとマリアは、ガリラヤの町ナザレに住んでいました。ヨセフは、ダビデの家系でありましたので、ベツレヘムという、ガリラヤから見ると南方の、エルサレムより更に南の町に上って行かなければなりませんでした。ナザレからベツレヘムまでは直線距離にして120キロ、道路を歩けば180キロにもなるかも知れません。そのうえ、ヨセフの婚約者マリアは身ごもっており、長い旅をするには、大変な決心が必要でした。やっとの思いで辿り着いたベツレヘムでしたが、「宿屋には、彼らの泊まる場所が無かった」と記されています。身重のマリアは家の外の馬小屋か、馬小屋用の洞窟に泊まるしかありませんでした。そしてマリアは、その場所で初めての子を産んで、布にくるんで飼い葉桶に寝かせたと記されています。その晩、主の天使が、主の栄光の輝きの中に現れて、羊飼いたちに言いました、「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、メシアである」と告げたのです。羊飼いたちは、天の大軍と天使が彼らを離れて天に帰ってゆくと、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださった、その出来事を見ようではないか」と話し合って、ベツレヘムへ行き、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てたのです。そして、羊飼い達は、「その光景を見て、この幼子について天使が話してくれたことを、人々に知らせた」と記されています。羊飼いたちは、神を崇め、賛美しながら帰って行きました。あの、ソロモンの神殿奉献祭に参加したイスラエルの住人達たちも、「心晴れやかに、自分の天幕へ帰って行った」と記されていましたが、二つの出来事の内容には、驚くべき大きな相違がありました。ソロモンの神殿は、イスラエルの民が、主なる神に祈りを捧げる場所として築かれましたが、7年の歳月をかけ、切石とレバノンの香柏を用いて建てられた豪壮なものでした。一方メシアとしてお生まれになったイエス様は、あり合わせの布切れにくるまれて、馬の飼い葉桶に寝かせられるという、当時の貧しい人々でさえも及びもつかない、厳しい環境でお生まれになったのです。しかし、私達は、そこに神様の御心を見る思いがするのです。イエス様は、苦しむ者の為に、嘆き悲しむ者たちの為に、生まれて下さったのです。私達、人間の犯した罪を、全て贖って下さる為に、お生まれになりました。この世の人々の底辺以上に厳しい場所でお生まれになり、人間のあらゆる苦しみを経験された後、十字架に架って下さったのです。今日は、イエス様の誕生の日です。私達も、イエス様のお誕生を心の底から喜び祝い、あの羊飼い達のように、「神を崇め、賛美しながら」家路に就きたいと願います。

 

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