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人の子の到来

人の子の到来
大坪章美

ルカによる福音書 21章25-33節

詩編80篇は、イスラエルの国民的な災難を嘆く歌で、おそらくイスラエルの12部族連合の中央神殿で朗唱されたものであろうと言われています。そして、一説には、北王国イスラエルが紀元前722年に、アッシリア軍の侵攻を受け、滅ぼされた後、エルサレムで造られたもので、民族の回復を求める祈りを表わしたものであると言われています。

9節以下では、ぶどうの木の譬えで、イスラエルの歴史が語られています。ぶどうの木は、イスラエルの民を指しています。11節12節は、イスラエル民族の繁栄を、歌っています、「あなたは、ぶどうの大枝を、海にまで、地中海にまで伸ばされ、若枝を、大河ユーフラテスにまで、届かせられました」と歌うのです。それから一転して、13節、詩編作者は悲痛な叫び声を上げるのです。「神様、何故あなたは、その石垣を破られたのですか」と問うのです。神様が石垣を破られたので、ぶどうの実は、通る人ごとに摘み取られ、猪や獣がこれを食い荒らしていると言うのです。詩編の作者は祈ります、15節です、「万軍の神よ、立ち帰ってください」、「このぶどうの木を顧みてください」と、主なる神に懇願しているのです。詩人は続けて祈ります、18節です、「御手があなたの右に立つ人の上にあり、ご自分のために強められた人の子の上にありますように」と祈っています。“神様の右に立つ人”は、王を指すものと思われます。「神様が、ご自分に仕えるために強くされた方」、この方を通して、神様は、その民と油注がれた王に対する約束を、必ず成し遂げられるであろう、との確信に立っているのです。私たちは、この紀元前8世紀に歌われた詩編80篇の18節に出て参ります、「ご自分のために強められた人の子」という言葉の実体を、ルカによる福音書の21:27節に見ることが出来ます。そこには、「その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて、雲に乗って来るのを人々は見る」と記されています。

イエス様が、この言葉を話されたのは、平和の徴、子ロバに乗ってエルサレムに入城された後の頃でした。ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られているのを感に堪えない様子で話し、見とれているのをご覧になって、イエス様は、「これらの一つの石も、崩されずに、他の石の上に残ることのない日が来る」と預言されたのです。この、壮大で、堅固な神殿が、崩壊することを予告されたのです。そして、実際に、イエス様が、十字架の上で死を遂げられてから40年後の、紀元70年、ローマの将軍ティトスに率いられたローマ軍は、エルサレムを半年にわたって包囲し、陥落させました。しかし、この第一次ユダヤ戦争での出来事、エルサレムの陥落と、エルサレム神殿の崩壊は、歴史的事実であったとしても、ルカがこの福音書を書いたときには、既に、過去の出来事になっていた筈です。ルカは、何故、過去の歴史を福音書に載せたのでしょうか。イエス様は、エルサレム滅亡の預言と同時に、終末の出来事を語っておられるのでした。25節でイエス様は、世の終わりが来るときを、確実に示す徴を語っておられます、「それから、太陽と月と星に、徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なす術を知らず、不安に陥る」と、まず、自然界に異変が起きることを預言されました。そして、私たち、イエス様を信じる者たちに対しては、28節に記されていますように、「このようなことが起こり始めたら、身を起こして、頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」と言われているのです。このように、“人の子、イエス様が、再び来られる”再臨の日に、私たち、イエス様を信じるキリスト者の救いが完成するのです。神さまから選ばれた、新しいイスラエルの民として、主の本当の救いに与るのであります。

この約束こそ、詩編80篇の詩人が、18節で歌った、「ご自分のために強められた人の子」、つまり、イエス様の再臨のことを表しているのです。そして、最後まで、イエス様に従う者たちには、神の国の住人としての希望が約束されているのです。

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