霊の人
大坪章美
ヨハネによる福音書 15章26節-16章4a節
イエスさまが、最後のエルサレムへ向かう旅でのことです。大勢の群衆に迎えられてエルサレム入城を果たされたイエスさまは、過越しの祭りの前、弟子たちと共に、最後の晩餐をとられました。そして、ご自分が、この世から天に上げられることを悟られて、弟子たちに対するお別れの説教を始められたのです。
イエスさまは、弟子たちに対して、現実のこの世の人々の、イエスさまと父なる神様への憎しみと拒絶を目の前にしても、恐れひるむ理由は何もない、と続けられます。イエスさまは、ご自分の福音の言葉と、神の国の到来を告げる数々の象徴が現す御業は、ユダヤ人やローマの権力者たちが如何に拒絶し、憎しみを深めようとも、必ずこの世に拡大し、成長し、いつまでも破られることはない、と預言をしておられます。と、申しますのは、イエスさまは、ご自分の証人として、“真理の霊”を此の世に送ることを明らかにされるからであります。“真理の霊”の働きによって、この世は、この世を闇から光へと転換されたイエスさまの御業の記憶を、永遠に揉み消すことは出来ないからです。
イエスさまは、「わたしが父のもとから、あなたがたに遣わそうとしている弁護者、即ち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証をする筈である」と仰いました。ここで、イエスさまが言われた“弁護者”という言葉は、“執り成しをする者、助け主”という意味があります。イエスさまが天に昇られた後、ご自分に代わって、その証言を、この世に継続されるもうひとりの方、真理の霊を助け主として遣わすと約束されているのです。この真理の霊によって支えられる全ての人たちは、この世の権力者の拒絶や非難に対して、勇気を失うどころか、栄光に満ちた勝利が、既に約束されている、と仰っているのです。そして、イエスさまが、復活されて天に昇られた後、弟子たちと原始キリスト教会全体が、神からの霊を受けてその霊を分与され、人間は驚くべき仕方で神の次元に移され、それぞれが神を知ることが出来るようになったのです。パウロはこれを、いわば、神様ご自身が、“霊の人”という、“新しい人種”を造り給うた、と言っています。この意味で私たちは、父なる神さま、イエスさまを拒絶する“自然の人”に対して、神の霊によって、神を信じることができるようになった人、と言う意味で、“霊の人”と言うことが出来るでしょう。
そして、イエスさまは、これらのことを弟子たちに語った理由を、初めて明かされます。それは、「弟子たちが、つまずかないための、準備である」と仰っています。ここには、弟子たちに対する、イエスさまの愛が現れています。イエスさまは、弟子達も、そして現代に生きる私達にも、準備も備えもなく、戦いの場に送り出すようなことは、決してなさらないのです。イエスさまは、ユダヤ人達や、ローマの権力者達、この世の力が、弟子たちを迫害する様子を預言されます。弟子たちは、ユダヤ人のファリサイ派の人々によって会堂から追放されるであろう、そして、彼らは、弟子たちを殺すことによって、神に奉仕している、と考える時が来るであろう、と。
これらの、悲惨なキリスト教徒に対する迫害に対しても、イエスさまは、「彼らが、こういうことをするのは、父も、わたしをも知らないからである」と繰り返し言われます。そして、これらのことを話した目的を、「その時が来た時に、わたしが語ったということを、あなた方に思い出させる為である」と言われるのです。「その時が来たとき」とは、「イエスさまが復活され、弟子たちが聖霊を与えられたとき」を意味しています。その時に、イエスさまの言葉が、想起されるのだ、と預言しているのです。イエスさまは、これまで、常に彼ら弟子たちと共におられ、信仰の支えとなっていました。然し今やイエスさまは、この地上を離れようとしています。イエスさまは、ご自分に代わって、弟子たちと、イエスさまに従う全ての人々と共にいる助け主、真理の霊を遣わして下さり、この真理の霊の助けによって、弟子達が復活のイエス様を見た時に慌てふためくことの無い様に、準備をさせておられるのです。