過去の説教

聖霊フィリポを走らす

聖霊フィリポを走らす
土橋 修

使徒言行録 8章26-40

原始教会の役員会筆頭だったステファノは、イエスこそキリストと告白し、脱ユダヤ教を明らかにして殉教しました。続く役員二番手のフィリポはここに登場し、北に南に走り福音を宣教して、脱エルサレムの姿勢を示した人です。厳しい迫害下で、信徒たちが「散って行った」その先にサマリヤがありました。「散る」とは、花の種子が風に吹かれて飛び散る様ですが、キリスト者にとっての風は、聖霊にほかなりません。サマリヤは歴史的にいわくつきの町です(列王記17)。イエスも昇天に際し遺言のように、「ユダとサマリヤの地に行け」と命じておられた所です。

フィリポの足は先ずこのサマリヤに向かいました。思わぬ程の伝道の成果を見ました。特別なこととして、魔術使いシモンとの出会いがあります。シモンも洗礼を受け、フィリポの後を追う者となりました。この評判はエルサレムに伝わり、情況査察のためペトロとヨハネが派遣されました。そして使徒らが気づいたことは、受洗者たちが聖霊について知らずにいたということです。あらためて使徒らの按手と祈りによって、「彼らは聖霊を受けた」とあります。現在の私たちにとって不思議な話ですが、原始教会の始めにはあり得たことかも知れません。二千年来の教会の歴史を顧み、「三位一体」の信仰や教理の形成を学ぶことで、一応の納得は得られることと思います。要はフィリポの洗礼は「キリスト・イエスの名によって」行われたものであり、「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主である』と言えないのです」(コリント第二、12: 3)。使徒言行録は「聖霊行伝」とも言われ、この記録は聖霊降臨に始まり、行間には見えざる神の力、聖霊の働きが溢れているのです。因みに、レモンは金でこの力を手に入れようとして拒否されました。「聖職売買」を“Shimoney”(シモニー)と言うのは、ここから始まった事です。

フィリポは一旦エルサレムに帰ります。しかし休息の暇も無く、彼は再び神の声を耳にします。「ここをたって南に向かい、ガザヘ下る道に行け」と。彼は「すぐ出かけていった」とあります。アブラハムも神に召された時、即座に「その出で行く所を知らずして出で行きました」。両者は共に、神のことばには、敏感にして従順でした。

フィリポの前に現れたのは、遠くアフリカのエチオピアから来た高官でした。彼はエルサレムの礼拝に巡礼の帰途、馬車の中で熱心に聖書を朗読していたのです。霊の声はフィリポに「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と命じました。俗っぽく言えば「あの馬車にクッツケ!」となります。高官の読んでいた聖書の個所は「イザヤ書53章」(主の僕)の予言の所です。二人の間に真剣な問答が取りかわされ、フィリポは「聖書を説きおこし」、遂に高官の申し出により洗礼が行われるに至りました。

エルサレムから80kmの道を、何事が待ち構えているか全く知らぬまま、フィリポはやって来て道で会ったただ一人の、見ず知らずのエチオピア人への宣教と受洗、神の言の宣教とはそういうものです。フィリポの使命はひたすら「イエスについて福音を知らせ」ることに尽きたのです。エチオピアの高官も同じです。彼もまた、聖書の言を探ってこの道を来たのです。そして受洗の恵みと喜びに溢れて、彼は旅を続けました。フィリポの姿は「主の霊が連れ去り」、ガザの寂しい道は何事もなかったかのようです。しかしこの道はこのようにして、「神の国」へと通じる道となったのです。

フィリポは後カイザリアに住み伝道し、パウロは第二次伝道の帰途、立ち寄り一泊しています。フィリポの晩年の伝道地はヒエラポリス(トルコ)で、八角形の教会が遺跡として残されています。彼もこの地で殉教の死を遂げています。彼は正に東奔西走、南船北馬の伝道者でした。聖霊の声を開き、命ぜられるまま走り続けました。使命を果たせば姿は消え失せ、サマリヤ・エチオピアに蒔かれた福音の種が、そこで花を咲かせる時、種まく人のいたことを人々は知るのです。

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