羊飼いへの御告げ

羊飼いへの御告げ

 岸敬雄伝道師

詩編       103章20~22節  ルカによる福音書   2章 8~20節

本日は2019年最後に主日となります。

ルカは、唐突に、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。と語り出します。そして夜通し番をしている姿から、出エジプト記が想起されます。出エジプト記13:21にあるように 「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。このように、神様は夜昼通し見守って居て下さったのでした。」のでした。

出エジプト記では、神様は、昼は雲の柱、夜は火の柱を持って導いてくださいましたが、見守る方と見守られるものが変わっています。それと同時に羊飼いたちの立場も変わっています。もともと、父祖であるアブラハムやイサク、ヤコブは羊飼いでしたし、ダビデ王も羊飼いをしていました。羊飼いはそのようにイスラエルの人母との本来の職業でした。それにもかかわらずイエス様の時代には律法を守れない人達だと蔑んで見られるようになっていたのです。その様な人に蔑んで見られていた羊飼いの所に天使からお告げがあったのです。

その方法は、マリアの所に天使ガブリエルが訪れた時とは違い、主の栄光が周りを照らしていたと言うのであります。それに対して羊飼いたちは、恐れを感じたのでした。それに対し天使は「恐れるな。」と言うのです。

なぜ恐れる必要が無いのかと言えば、天使たちの御告げは「民全体に与えられる大きな喜び」だと言うのであります。その大きな喜びの内容として、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」そして、「 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」と言うのであります。

羊飼いたちは、 天使たちが離れて天に去ったときに、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合ったのです。

そして、急いで見届けに行ったのであります。天使たちはすぐに行って確かめるように、などとは言っていないのです。日が上がって仕事の後に行っても十分に間に合うはずでありましょうに、そのような事を羊飼いたちはせずに、すぐに出かけて行ったのです。良いい知らせを聞いた時、羊飼いたちにとって唯一の仕事であった羊を見守る仕事を放棄して、天使が言ったことを確かめに行ったのです。当時はパウロであっても家の仕事としてテント張りの仕事を行っていた様に、親の仕事を引き継いでいたはずですから、羊飼いにとっては羊を飼うという仕事は大切な仕事だったはずです。それにもかかわらず大切な羊を野に置いたまま天使が教えとえて下さった事を確かめるためにベツレヘムへ行こうと言うのです。羊飼いたちが野宿していたのがどのあたりかは書かれていませんが羊飼いたちはすぐに行動を起こすのです。その様に善き報せを聞いた時には、すぐに行動することが大切なのではないでしょうか。

 そして、「、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」のであります。しかし、ここで、羊飼いたちは天使が言った事の事実確認をしているだけであり、マタイによる福音書に出てくる占星術の学者の様に彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げるようなことはしませんでした。そして、時間が少し前後します。

羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行ったのです。

そして「その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。」のでした。しかし、その話を聴いた人々は 「 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。」のみであり、このことを心に留めていたのは、「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」のみだったのです。