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わたしのいる所に来なさい

わたしのいる所に来なさい
大坪章美

ヨハネによる福音書 17 章 20-26 節

イエス様は、祈られます。19節です、「彼らのために、わたしは自分自身を捧げます。彼らも、真理によって、捧げられた者となるためです」と、祈られました。イエス様は、弟子たちのために、「自分自身を犠牲にされる」と、宣言されています。そして、弟子たちは、イエス様が命を捧げることによって、清められ、この世から取り去られなくても、この世にあって、守られるのです。イエス様が、天に帰られた後、弟子たちは、その業を続行しなければならないのです。

茲までは、イエス様が、「ご自分が世を去った後、世に残って、福音の伝道を行う弟子達たちの為に祈られた」、執り成しの祈りでした。然し、20節からは、更に大きく、将来にわたってのイエス様とこの世の関係を明らかにされるのです。イエス様は、続けて、「また、彼らの為だけではなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々の為にもお願いします」と、祈られました。

その意味では、わたしたち、21世紀のキリスト者たちも、この札幌中央教会に連なる全ての兄弟姉妹たちのことをも、イエス様は意識されて、父なる神に祈って下さっているのです。イエス様は、父なる神様と11人の弟子たちと一体の関係にあることを祈られましたが、今は、その時、共に居た弟子たちだけではなく、あらゆる時代の信徒たちも、同じように、父なる神とイエス様との一体関係にあることを祈っておられるのです。そして、この、時間、空間を超越した信徒たちの一体性は、イエス様を通して啓示された、神の御言葉を聞くことによってのみ、成立するのです。

そして24節からの祈りによって、最後のお祈りが結ばれます。イエス様は茲で新しい祈りを祈られます。

ここでは、驚くべき祈りを捧げられました。「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせて下さい」と祈られました。何処が、驚くべきことなのか、と申しますと、13節でイエス様が祈られた時には、「然し、今、わたしは御許に参ります」という祈りでした。イエス様はご自身が地上を去って、天に昇られることを知っておられるのです。そして、15節では、「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることでは無く、悪いものから守って下さることです」と、祈られました。茲では、弟子たちは地上で、福音伝道の使命を果たすように、と祈られました。

そして、今、24節では、「父よ、わたしに与えて下さった人々を、わたしの居る所に、共におらせて下さい」と、祈られたのです。イエス様だけが、天に昇られて、弟子たちは、地上で、福音伝道の使命を果たす筈であったのに、イエス様は、24節で、突如、「わたしに与えて下さった人々を、わたしの居る所に、共におらせて下さい」と、父なる神様に祈られたのです。

この矛盾は、次のように解き明かされます。イエス様は、続けて、「それは、天地創造の前から、わたしを愛して与えて下さったわたしの栄光を、彼らに見せる為です」と、祈っておられます。イエス様が、「わたしのいる所」と仰っているのは、天地創造の前から、ロゴス・キリストとして、神と共におられた場所の事です。そして、弟子達も、また、その後、御言葉を聞いて信じた人々も、その場所に、引き上げられるのです。イエス・キリストの祈りによって、信仰者は、生死を超えて、ロゴス・キリストと共に生きる事が約束されています。弟子達も、わたし達も、この地上の肉体の死によって、信仰の永遠の命が終わる事はないのです。

このようにして、24節でイエス様が祈られた、「父よ、わたしに与えて下さった人々を、わたしのいる所に共におらせて下さい」という祈りは実現するのです。

7:1節に始まったこの大祭司の祈りは、弟子達を、そして、その後、御言葉を信じて信仰に入る人々を神の御前に執り成し、神に近づき得る道を、彼らの為に備えるものでありました。天地創造の前から、ロゴス・キリストのご栄光は、天に燦然と輝いておりました。
この、イエス様の祈り、大祭司の祈りによって、暗黒の此の世から、栄光輝く天へと架かる架け橋が出来たのです。わたしたちも、やがて、この堅固な架け橋を渡って、父の御許へ至ることが出来るのです。

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