過去の説教

神と子羊への賛美

神と子羊への賛美
大坪章美

ヨハネの黙示録 5 章 6-13 節

この、黙示録が書かれた時代はローマ皇帝ドミティアヌスの治世の終わりの頃でありました。ドミティアヌスは、キリスト教に対して、様々な迫害を行いましたが、その状況が、この黙示録の中にも、記されております。6:9節には、「子羊が第五の封印を開いた時、神の言葉と自分たちが立てた証しのために殺された人々の魂を、わたしは祭壇の下に見た」と、記されています。著者ヨハネは、天上で祭壇を見るのです。地上の祭壇と同じものが天にもあって、天にある神殿の祭壇は、人が、神に、最も近くある場所です。義人として、又、敬虔なキリスト者として死んだ人々の魂が、ここに移されているのです。肉体や遺骸が墓の中に休み、復活を待っている間、魂は神の御許に留まります。

今日お読み頂いた個所は、天上の礼拝の場面に続く個所です。ヨハネは、ある主の日、霊に満たされて、後の方から、ラッパのように響く、大声を聞いたのでした。ヨハネがなおも見ていますと、「見よ、開かれた門が、天にあった」と記されています。4:1節です。そして、「ここへ上って来い。この後、必ず起こる事を、あなたに示そう」という声を聞いたのです。著者ヨハネは、この時、天に移されたのでした。ヨハネが霊に満たされると、天の宮廷の広間を見ることが許されました。ヨハネの眼差しは、まず、中央にある支配者の玉座と、そこに座しておられる方とに向けられました。

玉座の中央と、周りには、四つの生き物が居たと記されています。そして、この四つの生き物が、「玉座に座っておられ、世々限りなく生きておられる方に」、栄光と誉と、感謝をもって、礼拝しますと、次に、24人の長老達が、自分達の冠を玉座の前に投げ出して、荘厳な讃美を歌う時に、礼拝はその頂点に達するのです。
ヨハネは、広間の中央の玉座に座っておられる方、主なる神の右の手に握られ、七つの封印をされた巻物に目を注ぎました。この巻物の中に書き込まれているのは、人間が直接知る事ができない、神のご計画でした。それが、神の歴史計画に関するものであることは確かでした。と、申しますのは、七つの封印が解かれて行くにつれて、終りの時の運命が示されていくからです。

しかし、この書物を開くことができる者は、天にも、地にも、地の下にも、誰も居なかったと言うのです。著者ヨハネは、信徒たちが味わっている苦難が存続するのを嘆いて、大いに泣き叫んでおりました。

その時、24人の長老のうちの一人が、ヨハネのもとに歩み寄って来て、言いました、「泣くな、見よ、ユダ族からの獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる」と告げ知らせたのです。他の誰一人として解くことの出来ない七つの封印を、今や、勝利者であるキリスト・イエスが解くという、神の救済の歴史のうえで、決定的な転換点が、目の前に訪れるという告知なのです。

しかし、その後、ヨハネが実際に見たのは、猛々しいライオンではなく、弱々しい子羊であり、しかも、屠られたような子羊でありました。過越しの子羊は、生きているのです。子羊は、立って、裁きの巻物を手に取り、そして、しっかりと付けられた封印を解く力は、かつて殺されたけれども、死の力に打ち勝たれた、キリストによるものなのです。子羊が、封印された巻物を神の御手から受け取った時、四つの生き物と長老は、子羊の前にひれ伏して礼拝したと記されています。

そして、最後に、すべての被造物が賛美の声をあげます。天と地、そして地の下に海が加えられて、全宇宙が、この賛美に加わるのです。

これから、神の右の手に握られていた、巻物が、子羊、即ちキリスト・イエスの手によって、七つの封印が次々と解かれてゆきます。

世界の終わりのはじまりです。さまざまな戦いの後、全く新しい、永遠に朽ちることが無い、神の支配が始まるのです。20:20節で、ヨハネは、イエス様の言葉を記しています、「然り、わたしは直ぐに来る」と言われました。キリストの再臨です。私たちも、日々変わることなく、神と、子羊キリストの御業を賛美しつつ、その日を待ち望みたいと願うのです。

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