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わたしが数を増やす

わたしが数を増やす
大坪章美

マルコによる福音書 4章26-32節

預言者エレミヤは南王国ユダの預言者でした。預言者としての召命を受けた紀元前626年頃には、24歳くらいの立派な若者でした。その頃、南王国ユダを治めていた王は、神ヤハウェに忠実で、勇敢なヨシヤ王でした。そのときから27年後の紀元前609年、ヨシヤ王は、エジプト軍との戦いの中で命を落とします。それからというもの、南王国ユダは、四人の王が治めましたが、遂に紀元前587年、ゼデキヤの治世に、バビロンの軍隊によって滅ぼされてしまうのです。この四人の王の時代に、エレミヤは預言者として活動いたしました。エレミヤ自身は、バビロンに忠誠を誓うようにと、どの王にも一貫して主のみ言葉を伝えていたのです。エレミヤは、30:16節で、神の言葉を語っています、「それ故、お前を食い尽くす者は皆、食い尽くされる」と預言したのです。

主なる神は、紀元前587年のエルサレム陥落と、バビロン捕囚は、イスラエルの犯した罪に対する神の裁きであったことを明らかにされました。今度は逆に、ユダを、あるいはイスラエルを危機に陥れるものは、主なる神が罰するであろうと言われるのです。「お前を食い尽くす者は皆、食い尽くされる」という預言は、その後の歴史を見ればお分かりのとおり、事実となって現れます。紀元前538年には、さしもの強大さを誇ったバビロニア帝国も、新しく東から台頭してきたペルシャのキュロス二世によって滅ぼされてしまうのです。主なる神様は、神の裁きに遭いバビロンの王ネブカドネツァルの軛に繋がれていたイスラエルとユダの民を解放し、父祖アブラハムの昔から約束されていた繁栄を回復しようと言われます。そして、「わたしが彼らを増やす。数が減ることはない」と預言されるのです。これは、主なる神が、イスラエルの父祖アブラハムに与えられた約束の回復でした。主なる神様は、バビロンをはじめ、各地に捕らわれていたイスラエルとユダの民が、ユダの地へ、エルサレムへと戻ってきた時に、イスラエルの繁栄を再び約束されたのです。

そして、主なる神は不思議な言葉を発せられました。「ひとりの指導者が彼らの間から、治める者が彼らの中から出る」と仰ったのです。また、「彼のほか、誰が命を懸けて、わたしに近づくであろうか」と仰っています。この、「命を懸ける者」つまり「民のために命を捨てる者」は、明らかにイザヤ書53:5節を指しています。「彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった」のです。この苦難の僕は、イエス・キリストを預言したものと言われています。この、エレミヤが預言した「イスラエルの民の間から出る指導者」が、主イエス・キリストの誕生に繋がりました。

イエス様がまだ、ガリラヤで伝道しておられた頃、湖の北側にあるカファルナウムの町で、イエス様は弟子たちに語りかけられました。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」と、言われました。「神の国は、からし種のようなものである。土に蒔く時には、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと成長して、どんな野菜よりも大きくなる」と教えられました。御言葉を語るという最初の行為が、からし種のように小さく見えても、その結果まで最初の種の大きさで測ってはならないことを、イエス様は弟子たちに教えられたのでした。ここに、エレミヤの預言が繋がって参ります。エレミヤは、主から与えられた言葉を告げました、「わたしが彼らを増やす。数が減ることはない。」と預言したのです。数を増やされる“彼ら”とは、バビロン捕囚から解放され、故郷エルサレムへ帰り着いた、混乱のさ中にあるイスラエルの民でした。主なる神様は、イスラエルの民の繁栄を回復すると約束されたのです。そしてこの預言が、イエス様のからし種の譬えで成就するのです。現在の世界のキリスト教徒を見てみましょう。ユダヤ人に接ぎ木され、新しいイスラエルの民となった私達異邦人キリスト者が、地球上の人口の、約三分の一を占める程に増えています。もう、神の国の完成はいつ来てもおかしくは無いのです。

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